2011年11月1日火曜日

まりこ嬢・・・ステキ

ユーストリームというトコロから。生です。ナマ。途中、新しい音源を少し聞けました。楽しさをそのままに。音を楽しむことを続けてくれればと思います。


心配 ではなく 助言 です

 バイクでも車でも、スピードを上げれば上げるほど、周囲の視野が狭くなる。


 人も同様。歩き出すのは良い。でも突っ走ってしまうと、視野が狭くなりがちになってしまう。どれが重要なのか?なにから始めればいいか?


 ひとまず落ち着いて、それを考える時間も必要。その立ち止まりは、躓くのを防ぐ為、周りを見渡し、整理すること。決して無駄ではないのです。


 性格は仕方なく、ただそれが出しぎてしまうことも気をつけねば、時に選択肢を見失う。調子の良い時は特に。。。




 俺? 調子の良い時 なんて無いよ。 それを知ってるから、冷静ではなく、喜怒哀楽が薄くなってる。だから、見える。のかもしれない。

不払い運動について考える

 例えば選挙。投票は国民の義務です。といいながら、半分近くの人が投票していない事実。例えば某国営放送。いろいろな不祥事により、視聴料を未払いしている人もいると思います。

 何故、未払いなの? とその前に、何故、テレビを見るのにお金を払うの?というところからになりますが、国営放送なので、偏った報道(国には傾きますが)やCMを入れるわけにはいかず、いわゆるスポンサーがないわけで、国民の皆さんがスポンサーです。とお金を頂戴している訳で。


 そんな中で、いろいろな不祥事があって、無駄にお金を使ってる。過去のニュースなどを見れば明らかであって、そんな為に使うんだったら、もう払わない。というのが主たる理由だと思います。


 それを今回の福島原発事故に対する東電に置き換えてみると、不払いしたくなる理由、その事象も出てきます。

 事故当初からの曖昧な発言、対応の遅さ、補償に対する曖昧さ、見てないんで確かではないのですが、申請書が数百ページにも及ぶとか。(これにはなんらかの理由があると思います。例えば保険の裏にビッシリ書いてある約款を11のフォントの大きさで書けば数百ページにもなるかと)、これらの怠慢とも呼べる対応。


 そして、今回の電気料金の値上げ。価格変動性(原油やガスなどの燃料費単価で料金も変わる)を使用している以上、価格が時に値上がることは理解できます。ですが、その使い道に納得がいかない事が不満の理由かと思います。


 下期予算でも補償・復旧対応として予算は作られているものの、その内容は具体的ではないこと。それにもまして、人件費、ようはカットしていた給料を戻す為に、その値上がった電気代が使われるとなるとそりゃあ納得もいかないと思います。


 そんな事の為に払いたくない。そう思うこと、某国営放送同様、不払いしたくなる。じゃあてどのように?ってことになるのですが。


 今や公共料金、ライフラインと言ってもいい電気。それを使う。当然自由化や、スマートグリッドなどが発せられますが、それにも課題があって、実現するには時間のかかる事。

 じゃあもー電気使いません。と言う訳にもいかずの状態で請求されたままか?不満は募るばかりではないかと。


 水やガス同様、使った分は払う。これを前提として、方法としては

 ・値上げ以前の単価で、直に手で支払う。
 ・不払いであれば、基本使用料は不払いとする。とし使用した電気料金のみ支払う。


 このような感じでしょうか。テレビと違って、全部支払わなければ止められるだけですから。


 現実性で言えば、前者の方が出来そうではありますが、わざわざ窓口に行って、それを主張し、納得させ、支払う。当然ながら手間ヒマと苦労がかかります。


 未納の場合、料金の方が払ってください。と訪問する場合があります。その時主張しても、そうですか、バチン。で終わりになってしまう可能性も。


 結局のところ、どうしても支払いたくない場合。管内から出るか、本当に解約するかのどちらかしかなく、後者の場合は自家発電となりますが、そのコストもバカにならずで。



 でも逆に言えば、ガス、水道があれば、電気が無くても生きてはいける。と考えると、皆で、1ヶ月ほど全く電気を使わない。というのが一番ダメージが大きいのかもしれません。不払い運動ではなく不使用運動になってしまいましたが。




 はたしてそれができるかどうか。とうとう俺の培ったサバイバルが活かせる時がきたか。。。



 俺は。。。すみません。できません。>電気無し

2011年10月31日月曜日

大事な事は要確認

 会社の先輩にこんな事を言われました。「大事なことは2度確認しろ」と。知ってる人は知ってると思いますが、かなり忘れっぽい俺なので、それにもう1回。3回確認してました。シツケーなんて思われた事もあったかもしれません。

 これも知ってる人は知ってると思いますが、誰かと会う約束をした時、だいたい前日に再度、待ち合わせの場所と時間を確認します。行き違いにならないように。そんな行き違いって、無駄じゃないですか。それで時間を無駄にしたり、言った言わないの世界に入ったり。そんなんイヤじゃないですか。


 これは職業的習慣もあると思います。事前打ち合わせでの確認や当日の確認。机上で間違えて、スミマセン。で済めばいいのですが、作業となると確認不足が命に関わります。そんな作業でして。実際に確認不足で、命はとりとめたものの、数億円もの損失も出したことがあり、確認に対して、神経質と言われてもおかしくないかもしれません。

 でも、確認って大事だな。っていうそんな一例。

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 クレジットカードサービス停止(2ヶ月滞納うむー)に伴い、ネットのプロバイダをソネットからOCNにしたんです。

 某大型電化量販店の1Fにフレッツ光のブースがあるんで、そこに行き、プロバイダのみを契約しようと。ひとまず仮としてIDとパスをもらい、無事ネットには接続。後日、本書が来るというのでそれを待ってたんですね。

 言ってた通り、NTTから本書なるものが着ました。プロバイダ使用料滞納なんてバカラシイ事にならないよう、さくっと書いてさくっと送ってしまおうと思っていたのですが。。。


 中に同封されていたのが、支払いをクレジットにするか、引き落としにするか。その紙しか入ってなかったんですね。それが契約書とは思えず、問い合わせてみたんです。そしたら、店舗での説明と自分の解釈にだいぶすれ違いがあって。


 店舗の方がどう説明したのか分かりませんが、OCNのプロバイダ契約に仮契約というものは存在せず、その場で書いたものが本契約であること。自分は仮に。。と説明を受けたんですが。。。とここで自分は仮契約と解釈してしまった訳ですね。まずこれが1つ。


 それで、プロバイダ使用料をNTT東日本からの請求と一括にして欲しい。サービスでついてくるオプション(IP電話だったり)は不要なので、停止して欲しい。と自分のニーズを伝えたんです。そしたら


 今のお客様の契約状況を見ると、2年以上同じ契約状況でないと、違約金が発生してしまう。との説明を受けました。ウッソ!そのサービスが着いてくるという説明は受けて、自分は不要と言ったんですが、とりあえず着いていて、止める事はすぐにでも可能と説明を受けたんですが。。。この行き違いがもう1つ。


 時系列で相互確認していくと、説明不足、誤解を招く説明があった点が見られると、NTT側が判断し、違約金は無し。という事になったんですが。


 もう少し細かく言うと、プリント用紙を渡され「これが仮のIDとパスワードです」と言われたら、仮IDなんだ。と解釈してもおかしくないと思います。正確には「これが仮の用紙ではありますが、本IDとパスワードです」と説明を受ければ、これが本契約であることは見てとれる訳で。


 そしてオプションサービスについては、そのような契約内容を変えると違約金が付くという説明は一切受けてないことから、店員の説明不足と言えると思います。違約金がいくらか。言う事はできますが、ここはあえて書かないでおきましょう。


 確かにそのような店舗の場合、顧客1人に多くの時間を費やす事が難しいというか、早く回転させたいというのは理解できます。そこで行き違いが発生した。どちらに瑕疵があるとかは別として、確認不足はいなめないと思います。


 今回は、スムースに事が進んで良かったと思います。カスタマーとはこうあるべき。だなと。口調とかは個体差があるとしても、内容をハッキリと、相手が分かるまで説明すること、その内容を確認すること。これが大事なのだと。


 向こうからの確認。そして自分の解釈を説明しての確認。これが一致したので、誤解もわだかまりもなく終わったんですが、最後にいいですか。と相互での確認までした事はクデェと思われたかもしれませんが、そおいうもんでしょ。特にお金が絡んでくるんだから。

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 まぁこれはあくまで一例ですが、いろいろな所でそのような事はあると思います。時には書面で。時には口約束でも。会話を録音したりするのも、その時の事実確認の1つだと思います。


 
 言った。いやそれは聞いてない。そんな事を言われた記憶がない。そのような事を言われたが、そのよう認識はなかった。。。等々


 なんての、無茶苦茶腹立ちません?

2011年10月30日日曜日

代償

 以前から書いています。今もそう思っています。


 「何かを得るには、何かを失わなければならない。」

 等価交換といいましょうか。それは時によっては「代償」という名にもなると思います。


 何かを得た時 何かを失ってしまう。もしくは無くなってしまった。そうとも言えるのではないでしょうか。


 喜怒哀楽。


 怒ること、哀しむ事を捨ててしまうと、その代償として、喜びや楽しさも失われてしまう。そんな気がします。



 いや、これは湿っぽい話ではなく。


 ツイッターで、元ミドリのボーカル、ギターの後藤まりこ嬢のアカウントをやっとこ見つけて、すぐフォローしたんです。そして、まりこ嬢主催のイベントがある事を知り。


 前に、何故ミドリが解散したのか。なんて事を書きました。ハジメタルさんのブログや公式ページにも何も書いてなくて。でも、パンクバンドが、気軽に解散~なんてできるとは思えなくて。


 それで調べたら、まりこ嬢が結婚していた。と。なるほど。と。


 まりこ嬢的にはハッピーかもしれないけど、ミドリ的にはどん底な訳で。なんてことを書いた記憶があります。自己納得でそしゃくしたのですが。


 フォローすると、最近のツイートが見えるので、ざっと見てみたら、相変わらずの言い回し。ステキ。真相は分からないけど、いい感じで生活してそうで。なにより。なんて思ったんです。


 ただ、その中で、あたしには今、ハードコアが足りない なんて呟きがあって。そりゃそうだわな。なんて思いました。

 ミドリの歌詞や、歌がホンモノであれば、DVDなどを見ても、痛々しいぐらいなまりこ嬢。魂が入ってるのがよく分かります。


 ただ、”愛”というものを得た代償として、ハードコア、何をもってハードコアとするかはそれぞれだと思いますが、ミドリの中のまりこ嬢の中のハードコアが無くなってしまった。と考えるとなんとなく頷けたり。


 歌が好きで、音楽が好きで、これからどんな音楽をやろうとしているか、ハジメタルさんなどはブログで発表してたりします。はてさて、まりこ嬢はどんな音楽をするのかな。と。


 心にも無いハードコアな音楽は刺さらない。なら、今のそのままのまりこ嬢を見せて、聴かせて欲しいな。なんて思います。その音楽が、刺さるかどうかは別として。



 愛を得た代償として、ミドリの魂が無くなってしまったのであれば、愛の詰まったパンクを歌えばいいと思います。歌詞書くの、難しいと思います。分からない。それを上手く歌詞に表現できない。あると思います。



 でもパンクなんてそんなもんじゃね?となんとなく思うのです。ハードコア。って例えるなら、パンクもラップもロックもねジャンルなんて関係ないかと。

2011年10月27日木曜日

心の整理整頓

 学校の授業、会社の会議など、先生の教えてくれてること、会議の中で出た議論。どれも大切な事なんですが、頭がいっぱいになっちゃって、覚えきれない。だからノートに内容を書く。授業や会議で、ノートと鉛筆を持たないでなんでも覚えてられる事なんて、ほとんどないと思います。


 ましてや、自分でも考えながら、人の話を聞いて、それも踏まえて自分の気持ちを言っている。大切です。が、自分で処理しきれない。それもあると思います。言ってる自分が何を言いたいのか、何を言ってるのか分からないなんてことも。


 ココロの事。 生きるという事、自分の事、今の事、未来の事、過去の事。自分が何をすればいいのか?、どう生きたらいいのか?自分は生きてていいのか?生きてる意味なんてあるの?そんな事を考える。どれも凄く重要なことだけど、考えすぎちゃって、どれから手を付けていいかわからないってゆーか、何がなにやら分からなくなっちゃったり。その何が分からないのかも分からない。なんてことになっちゃうことも。


 そんな時、文字や、キーワードでも、何かに残しておくと、一つずつ考えたり、あの時、どんな話をしたのか、また考える時、それを見ながら、キーワードに考えを追加していく。それも考えをまとめる1つの手段だと思います。


 大切な事をいっぱい話しました。自分が、君が今どんな状況なのか。何が出来るのか。何をすればいいのか。生きるということ。自分の思い。君の思い。複雑だけど実は単純であって、でも凄くデリケートで、でも簡単なこと。


○今の自分


 例えばいわゆるフツーの人が10の力があるとして、自分が今、3しか無い。それを10の人と同じように動くと、余力が3しかないんだから、当然、無理がきたり、どこかに何かが出てしまう。

 自分はいったいどのぐらいなのか?実は9なんだけど、1足りないから病と思ってしまう人もいる。にわかメンヘラなんて呼ばれる人。

 でも、10だと思っていても、実は6だったり、4だったり。それを判断するのはドクターなんだけど、それを認める事も大事であって。ドクターが4しかない。と診断したんだから、薬も処方されたり、時には堕ちたり、動けなかったり。それが現実なのを認めること。それが地に足を付けること。

 浮いていたら歩いているつもりでも、前進しなかったり、逆風なんて吹いちゃったら、あらぬ方向にいっちゃったり。

 それは人によって重さは違う。もっと酷い人もいる。それを認める事で悲観することは無く、あくまで自分の今の状態を見る。見てもらうことが大事だと思う。それがスタートだと。


○過去の自分

 自分っていうのは、誰かが作ったわけじゃなくて、生まれてから、いろいろな人と出会って、いろいろな人と別れて、勉強、仕事、生活、遊び。いろいろな事を経験して、少しずつそれが形となって、今の自分がいる。

 過去にも大事件があったり、大切な人、物があったり、それが壊れてしまったり。病になったのも、過去に何かしらの原因があって。その原因が自分の中で解決できなければ、病は良い方向には行かない。薬で症状を抑えることは出来ても、実際の重さは変わらず平行線。

 先ほどの10のうち、4だったら4のままだったり、それに新たな問題が出ると3になっちゃったり。


 逆に言うと、その原因、他人から見れば何でそんなことで?なんて思うかも知れないけど、自分の中でそれは心が潰れてしまうほど重たいモノ。それが取り払われたのなら、少しずつでも上にいける。1歩ずつ、1mmずつ、止まっているように見えても、少しずつ前に進むことが出来る。


 でも時として、過去の記憶の中、自分の心を変えてしまうほど大きいことがあると、自分の中の「時」を止めてしまうことがある。「時間」は進んでいても、心の「時」が止まってしまう。時が止まってしまうと、時間は進めど、その場から進むことが出来ない。何故?自分が止まってしまっているから。

 足が動かない訳じゃない。何か、強い鎖で何かに繋がっていて、はいつくばって動こうとしても前に進めない。そんな状況。

 でも、それは悪い事じゃない。それだけその過去のが強いってだけの事。決して悪いことじゃないんだ。でも、それを断ち切らなければ、前には進めない。断ち切るにはすごく勇気もエネルギーも必要。でもそれにかける時間は、決して無駄じゃない。

 時に辛くて倒れることもある。でも、それは前に倒れている。なら、前を向いて、また立ち上がる事ができる。自分や友達は、後ろに倒れないように、背中を支えてやることは出来る。でもその鎖を断ち切るのはあくまで自分でしかできない。


 たとえ、断ち切ったとしても、その大切な過去が無くなった訳じゃない。自分の中でそれは死ぬまで存在し続け、輝いている。


○これからの自分

 過去の自分がいて、今の自分がいる。さて、これからどう生きようか。

 それは、過去の自分、そして今の自分を見定めれば、自ずと道が見えてくる。出来なかった事が出来るようになった。眠れない日々が、ちょっと減ってきた。何も食べる気が無かったのが、ちょっとずつ食べれるようになってきた。少しずつの、前進。

 出来ることが増えてくれば、道の選択肢も増えてくる。友達とそんな話をすれば、更に増えたり。自分が今、出来る事、しようとする事、目標と言うのだろうか。自分の進もうと思う道を進めばいいと思う。


 いくら経験が多いからと言って、全て正解の道を進める訳じゃない。そんな時に怒ってくれる人を大事にしよう。慰めるのは誰でも出来る。それも大切だけど、耳の痛いことを言ってくれる人こそ本当に大切にすべき人なんだ。

 耳の痛い事を言うのだってツライんだから。嫌われるんじゃないか。そんな不安を超えて言ってくれるんだから。


 それを踏まえて進んでいけばいい。結果失敗だったとしても、それに後悔はない。自分を信じて。少しずつでも。


○責めないデイ

 自分は月曜日が嫌いだ。ほとんどの人が土日が休みで、昼間とか遊んでいて、なんか一緒な気持ちになるけど、月曜日、皆が会社に行くと途端に自分が病な人間なんだ。。。と認識させられ、なんか自己嫌悪な気分になってしまうから。別の意味でのブルーマンデーだ。


 心の病。ネガになってしまうことが多いから、つい自分を責めてしまう。動けない時、出来ない時、衝動に負けてしまった時、ちょっとした言葉の傷、自分、ダメダメじゃん。生きてる価値ねーんじゃねぇかな。なんて思ったりもする。


 動けないこと、それは悪いことじゃないんだ。だから自分を責めないで。今まで出来てたのが出来なくなってしまったこと。それは悪いことじゃないんだ。だから、自分を責めないで。衝動にかられてしまったこと、理性が負けてしまったこと。それは悪いことじゃないんだ。だから、自分を責めないで。


 怒る時は怒るよ。それは誰でも同じでしょ。自分の納得いかないこと。それを言うこと。それは誰にでもあることでしょ。反省すべき事は反省して、それを繰り返さないよう努力すればいい。後悔じゃない。反省。

 納得いかないんだったら、それを言えばいい。それで嫌われるんなら、その程度の関係だったんだ。お互いの気持ちをぶつけあって、良いトコを吸収。それのどこが悪いのか?


 あんなことを言ってしまったなんて思うかもしれないけど、それは自分が今まで築いてきた性格なんだから。性格だって人それぞれ。根本の性格ってものがある。それだけは曲げられないもの。誰もが持ってる。

 それがイヤな人もいるだろう。だからと言って、自分が悪いわけじゃない。どうしても受け入れられない人がいる。性格の不一致ってヤツだったり。それで離れたとしたって、自分が悪いわけじゃない。合わなかった。っていうだけ。だから悪いことじゃないんだ。罪じゃないんだ。だから、自分を罰しないで。自分を責めないで。




 100文字を言葉にすれば1分ですむ。でも1分話したことを文字にする時、100文字じゃ収まらない。文字にも限界があって、その為に言葉があって。言葉だけじゃ分からないから顔を見て話しする。伝えたいことを少しでも理解して欲しいから。理解したいから。

 それも記憶に留めているだけでは何もはじまらない。かえって混乱してしまう事もある。だから言葉だけの方が良かったり、それを文字にする。再確認して、前に進める。どれにも意味があって、どれも大切だってことで、ペンならぬ指を置く。




P.S おい”宝石”なにやってんだ? ○年後にお前は偉業を成す。 2歩目は1歩目が出なきゃ出ない。そんなところでもたもたして。    [○月×日] -神門-

2011年10月24日月曜日

ただ、単純に、自然を受け入れる

 トルコでM7.8の地震があったとか。


 なんか最近、頻繁に起きてるよね。なんて他人事のように言ってる人もいますが(かくいう自分も言わないだけでその中の1人なのですが)世界で見れば、大地震と呼ばれるものは、結構前から頻繁に起きているんですよね。


 日本をはじめ、中国だったり、インドネシアだったり、チリだったり、アメリカだったり。。。。被害の大小に違いはあれど、それは震源地などだったり。


 地球が起こしてることなんか、人間の知るところではなく、正に人知を超えた存在。であり。


 一極集中だと、地球自体が壊れちゃうから分散してくれてるとも言えるし、引き絞った弓のように、今が放たれたものかもしれないし。


 どちらにしても、本当の意味でなるようにしかならず。なんて思うことも。


 それに抗うのも人間だと思います。人間の必然なのかもしれません。ですが自然には勝てない。ならばそれを受け入れる。これも人間の必然かもしれない。なんて思います。

 ディスカバリーchを見ていたら、学者さんがこんな言葉を言っていました。「時間というものは、人間の究極の思い込みですよ」と。

 アインシュタインの相対性理論が出る前は、ニュートンの概論により、時間というものが決められていて、時間は常に一定である。これを根拠に、グリニッジ天文台を基準として、時計って物が作られたんですが。それで、今や原子時計なんて言って、誤差が4000年に1秒とかそんな時計を世界で作ってて。


 でも、そんなモノになんの意味があるのかっていうと、ただ、人間の物差しで決めた時間っていうものの確認ツールでしかない訳で。


 社会においては必要なものです。会社の勤務時間だったり、待ち合わせの約束や、テレビ番組表も時間と時計で組まれています。そおいう意味では必要不可欠なモノかもしれません。


 ただ、宇宙規模で言えば、時計なんて物はなんの意味も持たず、加速に加速を続けていれば、光速に近づけば近づくほど、時間は遅くなる。じゃあ光速になると時間は止まるのか?とか、光速より早いスピードになるとどうなるの?なんて謎があって、何故か光速より早く進むことは出来ない。と結論付けています。相対性理論では。


 今では、それも時代遅れの論理であり、ワームホール、超高速の発見など、があるのですが、超高速になると過去に遡れるの?ってなるとそれは不可能であって、時が進むことには違いはなく、それが早いか遅いかの違いなだけだと思います。


 話変わって、心と時。これも気持ちで短くなったり、長くなったりします。例えば、楽しい時間は短い。とか、事故の時、スローモーションに見えるとか。それは感覚ではなく、実際に「自分の時」が長くなったり短くなったりしていると。


 とある人が、なにか、皆がビデオの倍速のように動いてる。自分の時が遅くなったのか?と疑問を抱いていたら、自分がスローになっていた。という病気だった。なんて一例があるのですが、時。という概念でいけば、自分は普通の時を過ごし、他の人の時間が倍になった。と言えるのではと思います。


 時と時間は、似て非なるものだ。科学的にも、心理的にも。そうすると、限りある自分の時をどう過ごすか。一瞬で終わることもあれば、永遠に近いものでもあるかなと。そうすると、心と宇宙は同義でもあるかなと。







~~~~~~ここから不謹慎なテキストになります。ご注意を。








 例えば投身自殺した人がいたとします。投身でもなんでもいいのですが、いろんな宗教で、自殺すると魂は、永遠にその場に留まる。みたいな教えが多くあります。


 宗教では、輪廻から外れてしまう。的表現なのですが、上記の時の概念を用いると、まんざら根拠のないものではないと思うことが。


 30mのビルから飛び降りた。計算すれば、その時の落下速度や、落ちるまでの「時間」は簡単に求めることができます。ただし、そこに心が入ると全く別物になってくるわけで。


 その時の心理状態にもよると思いますが、普通であれば、恐怖心や絶望の中で飛び降りる訳で。その時、よく走馬灯が走るとか、事故の時、スローモーションのように感じる。という現象が起こります。


 これは「自分の時」が恐怖や絶望、いわゆる「負」の感情により引き伸ばされていると言うことができるのではないかと。それは地面に近づけば近づくほど増大し、引き伸ばされる自分の時もそれに比例して引き伸ばされる訳で。


 地面が近づくにつれ、感じる自分の時は長くなる。世界中のどのコンピューターより演算速度が速い、かつ電流(いわゆる光速)で脳神経が活動するとなると、光速に近いスピードで頭は回転することになる。


 そうなると、他から見ればただの落下であっても、自分の時からすれば、永遠に限りなく近い時の中にいるということとなり、限りなく永遠に近い時の中落ち続けるということととなるわけで。


 死に対して、絶大な恐怖を持つものからすれば、脳が活動し続けるまで、永遠に近い時をすごすことになる。ここで宗教とリンクもしたりして。


 宗教も人間の「心」が創り出したものなのだから。

2011年10月21日金曜日

グランジ

 音楽のジャンル等でも使われていますが、形容詞の1つである”grungy”が名詞化した”grunge”からきています。

 意味「汚れた」「薄汚い」 スラングだと「爪の垢」  まぁどっちもどっちなんですが。


 ニルヴァーナを代表する音楽。それから来るファッション。直訳すれば薄汚い音楽、薄汚い服装。なんて意味になるんですが、それが1つのジャンルになってしまったり。


 もともと薄汚いんだから、同じ服を2週間も着ていれば、グランジになるんですが(ダメージドやペインティング加工と同じ)そーいう訳にもいかないようですね。


 しいて言えば、グランジ「風」ファッションが正解かと思います。服もいつかはボロになるんだから。今、自分が着ているパーカーだって、穴だらけですよ。グランジですよ。


 最近、というか、ずっとなんですが、俺ってほんと、グランジな人間だな。。、。と思う。悪なら悪の方がよほど批難されようと、良いような気がする。

 中途半端がキライなのに、ドラクエ2で言えば真ん中。二人目。どっちつかずのような、どっちにも力を発揮していない、特化していない。正に中途半端。そんな自分に凄い嫌悪感を持ったり。


 皆から好かれたい。こんな気持ちは皆持ってるのに、ソロがいいなと思いつつ、ほっとけと思いながら心配してみたり。


 人の不幸が好きだったり、自分がハッピーだと寛容になったり、羨ましかったり、妬んだり、どうでもいいと思ったり、嫉妬してみたり、分かってるつもりで、全然分かってなかったり。それを良い方向に持っていこうなんてことも思わなかったり。


 もともと生きる意味なんて、自然からすれば、全くもって皆無であって、ただ生きてる。それだけ。食う側なのか、食われる側なのか。食う側だったら、なんの躊躇もしないだろうし、食われる側は生存本能で抵抗するだけ。生き延びる為に。


 心なんて厄介な物があるから苦しいんだろう。楽しいんだろう。でもそれは自分の問題。これを書いてるのも自分の問題。他人の干渉はあるものの、それは間接的なことであって、考え、思うのは自分自身。


 ごちゃごちゃ書いてても解決する物でもない。ココロなんだから。自分自身だって理解の範疇を超えることだってあるんだから。




 なんて書いてるとスチャダラパーの「後者」の「後者のみ」が一番自然で人間らしいのかもしれない。

2011年10月20日木曜日

5次元(空間+時間+心)

 マフラーのメーカーではなく。点が1、面が2、今ココが3、そこに時間の概念・変化を加えると4次元となるんですが、それにもう1つ、心ってものを付けると、また摩訶不思議なことになったり。


 ココはもちろん、ブログ、ミクシー、ツイッター等々、自分の思いを文字にして世界に発信することが容易となりました。WEBカメラなどでテレビ通話も可能。ただ、言葉をツイッターのようにするとトンデモナイことになるような気がします。


 文字には表現の限界があって、なかなか理解してもらえない部分や誤解を招く部分もあり、不確定というか不安定というか。。。そんな部分がついてきます。でもそれぐらいがいいかもしれません。


 なので文字より言葉の方が、もっと伝えやすく、伝わりやすい。でもそれを武器として捉えると、文字より残酷な物になってしまいます。


 言葉の功罪でもありますが、それに心を付けると、時としてオカシナ方向に行くことも。


 例えば、ネットで誰か、有名人のブログが炎上とか、ツイッターでも大勢で個人を批判という域を超え火に油を注ぐだけ注いで、なんで火がついてるのかもよくわかってない、集団心理的な物もあり。


 この集団心理は、プラスの方向ではなく、大概はマイナスの方向に行きがちな気もします。これも匿名という名の功罪なのかもしれません。


 匿名や、批判自体は別に悪い物ではなく、文字や言葉もなんの罪も無い。要は使い方であって、それで時には感じる文字や言葉があったり、傷つく文字や言葉があったり。


 誰でも感情ってものはありますから、時として、ネットという世界でも熱くなってしまったりすることもあると思います。それも別に構わないと思います。更には、そのどちらかに共感する方、反感を持つ方もいてもいいと思います。


 どちらにせよ、相手の心を100%理解する事は不可能であり、ネットという見えない世界で、相手がどんな人か、なんてのは全く不明だったりも。リアルとネットじゃ人格が違う方もいますし。それも否定はしませんが。



 単純でかつ複雑。ストレートでありながらややこしい。相手の顔色も気持ちも見えず、相手の気持ちを考え物をいう難しさ。やっぱ会って話すのが、一番なのですが、全国、世界中の人とコミニケーションが持て、コミニティも作れることは良い物でもあってそれもまたヤヤコシイ。



 少なくとも自分は、外見はともかくとして中身はリアルでもネットでもそのまま出していきたいなぁと思います。それも相手あってのことですけどね。



 分からないから知りたい。でも知られると困る。ってもっと知りたくなりません?犯罪とか傷つくことじゃじゃなくてね。対人だったら、知らなくていいこともあると思う。でも知りたがりな俺を許して。