2011年2月21日月曜日

天運と地運

 裏麻雀で20年間無敗という伝説を作り、引退後、雀荘と道場を作り今なお崇拝されている桜井って人がいます。麻雀を「道」というものしようとしてる人の考えなんですが。

 世の中、”運”という非常にあやふやなものが確かに存在し、その時間、その日、一生でもどっちにいくか分からない非常にやっかいな代物であって。

 ひとまず麻雀で話をしましょう。対局が始まりました。その時にやっぱり誰かが”ついてる”人がいて、配パイやツモも良かったり、皆より早く上がれる。いわば最初にもらった運。それを天運といいます。

 当然、天運に見放されいる人もいるわけで、そのままじゃ天運の波に乗られ大差をつけられてしまいます。そこで必要なのが地運と呼ばれる物。

 相手の天運を技術、時には常人には理解できない事で剥ぎ取り、天運を平等に、地運勝負の”流れ”にもっていく。自らの地運をなんとかして上げていく。当然、絶妙なタイミングが必要だし、”流れ”を把握しなければなりません。


 じゃあその”流れ”って何?これもまた非常にファジーなものですよね。野球とかバレーとかサッカーとかでもよく使うじゃないですか。流れが変わったとか、このような流れになるとか。どんな流れよ?なんて分からない人には到底理解できません。だって未来なんて見えないもん。

 この”流れ”ってヤツは直感や予知能力とも違い、技術的なものであって、それを把握出来るんであれば、日常生活においても非常に有利に働くものだと思います。ただ、それって何??

 あるプロ野球の人が言ってました。

”同じポジションで何年もやっていて。練習でも試合でもバッターが打った球を取り、ファーストに投げる。当然、ランナーがいれば違う行動をとるが基本的にはそんなに多くの種類があるわけではない。ただ、それをを何千、何万回とやるんだが、同じ状況でも全く同じボールが飛んでくることはない。

 その時、その何千、何万回の経験の中から一番似ている物を瞬時判断し、一番最善な方法を取る。それをも何千回とやっていると、こうなったらこうなるだろうの「だろう」が現実と近くなっていって、それ全体の結果がなんとなく分かるようになる。それを「流れ」と呼ぶのではないかと思う”

 と。

 なるほど。それだと理屈は通りますね。いわゆる経験則をもっともっと凝縮した物かと思います。いろいろな経験をしたり、同じ経験を何度も何度も繰り返すうちに、たどり着く結果やどの過程の部分が勝負所だっていうのが分かってくる。それを行うことにより全体の「流れ」を自分で変えていく。それが地運ではないかと。

 桜井氏はこの地運を非常に重視しています。ってか天運ばかりは、それこそ神から与えられたパラメーターであって、生まれつき運の良い人悪い人。それこそ、金持ちの家に生まれてくるか、貧乏な家に生まれてくるか。これも天運の1つだと思います。

 だけど、いろいろな経験。多くの経験。地運を持っていないと、与えられた天運を剥ぎ取られたり、逆にせっかく天運に恵まれているのにそのチャンス、機会を逃してしまったりしてしまう。逆に言えば地運を鍛えておけば、相手の天運を剥ぎ取ることができる。もしくは、来た、チャンスを逃さないことができる。天運という曖昧なものに翻弄されずに済むのは非常に有利なことだと思います。

 良い事、悪い事、成功したこと、失敗した多くの事、言った事、言われた事、苦しかった事、楽しかった事、得た物、失った物。。。これらは全て、自分の糧だと思います。今病んでる俺でも、得た物は大きいと思います。
 
 せっかくこれまで得た地運、見える流れ活かすも殺すも最後は結局自分次第だと思います。「流れ」を見てし、チャンスをつかめ。それが失敗だったとしても、それはそれで、糧なんだから。

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