2011年6月16日木曜日

現実のムコウガワ

 気絶しました。って書くと大げさに聞こえるかもしれません。が、その秋葉原からの帰り、東京駅に一旦戻り座れる状態で帰ったんです。始発なだけにシートの端をキープそっちにもたれかかっていれば少し休めるなー。。。。

 覚えてること、電車が走っていることだけ。新宿とか大きな駅についたことさえ意識にありませんでした。で、次にふと目を開けたら終点。うぉそこまで寝ちまうか。と思いつつ来てしまったものは仕方なし。待ってればまた反対側に行くんだからと。再度寝ることに。

 シートの端なのでそちらに傾いていれば特段問題無いんですが、反対側に傾いてしまい、1個席を空けて座ってたおじさんのヒザに自ら膝蹴りくらい。という大技。すみません。と謝って許してもらったんですが、痛覚無し。普通だったらそこで目が覚めるんですが。。。

 電車が出発し、途中のってか隣の駅まできたのは覚えてるんですが、気付いたら降りる駅通過。どんだけよ。。。と思いまた反対側の電車に乗り、今度は立ってたんでやっと最寄の駅で降りられました。


 理由は単純。適度な運動ではなく、過度な運動になってしまったから。まぁ4時間とか歩きましたからね。時速3kmでも12kmですわ。誰だって疲れます。電車の中で疲れて寝る人だって当然います。それが極端に出てしまうのも症状の1つなんですね。


 症状と言っても、具合が悪くなるわけではなく、自分の体力なり精神力を回復させようとしているんです。意識的にか無意識的にか分かりませんが。時には48時間眠れない時もあります。でもいずれもう無理って時が来て、死んだように寝る。あくまで普通の延長線上の話でベクトルの長さの違いなだけです。

 寝ることもストレスを減らす一種です。だからいいんです。食いたい物を食いたいだけ食う。それでいいんです。逆に食欲が無ければ食わなくていい。それでいいんです。遊びたいから遊ぶ。いいんです。体型なんて第二優先。風呂、洗濯、掃除、後でもいい。まず自分のしたい時にしたいことをして、ノンストレスを作ることが重要。

 ただ、その中でも必要なこと。最後の力を振り絞って、過食、拒食、依存となる前に自分をコントロールすることが重要だなと。もちろんこれはそうなってしまった時であって、そうなる前に自制できれば何も問題はないことであって。


 酒は飲んでも飲まれるな。なんて言葉がありますが、どんなことでも、意識のあるうちに自制できれば飲みすぎにはならないし。現実の中にいれば、理性って物が働いてくれますし。ただ、どこかでプチッといった瞬間、理性がふっとび飲みすぎることも、飲まれることもあって、次の日、二日酔いという代償を支払うんですが、飲んでるうちは、そんなん意識の中から無くなるじゃないですか。それが現実のムコウガワかと。


 これは酒の一例ですが、病の場合、それがどの場面で出てくるか、どこまでやると出てくるか分からないから厄介。よく電池が切れそうだ。なんて言いますがその時はまだ自分の中で意識できてる証拠であって。切れたら上記のようなことになると理性が言ってくれるから、そこで休んだりするんですね。その電池も普通の人より短いですが。


 今回は、俺が歩いているうちにいってしまった。それに気付かなかった所に大きなミスというか、原因があったわけで。一周して、諦めて帰れば良かったんです。っつかどっかの喫茶店に入って吸ってしまえば、そんななん時間も歩かなくても良かったんです。まぁたら・ればの話ですが。


 じゃあ、何も運動しなけりゃいいの?って訳ではなく、あくまで「適度に」がいいわけで。それを見極めるのも当然必要。少しだったら百薬の長、飲みすぎたら毒となる。酒と一緒ですね。何事もほどほどに。その”ほどほど”も日々違っていたり、したくとも出来なかったりするのがまた厄介なんですが。


 それでも、それを意識して、例えそれが後退だったとしても、前向きな後退だったら、前に進めるには違いないことを信じて、また外に出る。

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