2011年2月28日月曜日

念願達成?

 以前、テキストに書いたんですが、髪がだいぶ伸びてきたんで、今週末に髪を切りました。友人の相方さんのトコに行き、お金を先に渡して、好きにしてください。と。

 ただ、そのテキストの内容、ちょっとユニセックス的にお願いします。と前髪は短くしてくださいとだけリクエストしました。

 最初、ブリーチで根元を明るくします。その途中に友人からメールがあり、来るということなので、別のお客様もいたことから俺は後でもいいやと、で、一旦中断し、友人達とお茶&お喋り。20時頃友人宅に帰ったんですが、まだお客さんがいたので、隅っこで静かにしてました。ちょうどクスリも切れてたし。休憩。

 で、一息ついて、さぁ始めましょうか。うなじの部分をどうしようか?思い切ってツーブロックにしちゃえばいいんじゃない?どうぞ。お好きなように。バリカンで刈ってた時に、首の形で、ほら、Mの字っぽいねとか言ってたら、こやつ、MなんだからMってそこに書いて(髪を切ってね)しちゃえば?それは頼んでない!ですが勢いは止まらず、かつ後頭部なので見えない。ただ、見れば分かるようにMの字が入っているようです。

 ひととおりのカットをしてもらい、カラーをしてる最中。前のお客さんが女性だったので、テーブルに女性のファッション誌が置いてあったんです。で、言わなきゃいいのに、表紙のモデルさんの鼻から下を隠し、「ほら、俺も眉毛整えて化粧すればこんくらいとまでは言わないけど結構いけなくね?」なんて言ったもんだから、じゃあ眉毛整えましょうと。

 俺、生まれてこのかた、眉毛の手入れなんてしたことなかったんです。薄いのもあるし、剃って、点々がつくのもカッコワル!なんて思ってたし。なので眉毛の手入れ、魅惑の初体験です。

 ハサミで上と下を切りました。そんで、鉛筆どこしたっけ?ってえ?書くんですか?そこまで完璧な眉毛にしなくても。。。。ただも、俺はもうまな板の上の鮒。眉毛を書いてもらいました。友人いわく、それだけでも人相が随分違うみたいです。目チカラが出た感じがすると。

 でしょ?また雑誌の表紙を見せて、ヒゲはしょうがないとしても鼻から上だっら通用するんだよなんてまた言ったもんだから。。。。

 相方さん、貴方も結構Sですね。通り過ぎるような感じでちょっとクチビルを触ったんです。次の瞬間クチビルがいつもと違う色に。。。マジシャンですか!!

 そこからもう止まりません。アイシャドウ塗ったり、ほお紅とか塗ってもらったり。終わったのが23時過ぎ。結論から言うと、なんか仕事が終わって帰宅したオカマバーのママみたいだね。って全員の感想でした。

 ってことは、俺の言った(書いた)ことは間違いじゃないんだと。通用しちゃうんだと。俺の目に?狂い?はなかったんだと。ある意味念願達成ですね。


 まぁその後なんですが、皆、夕ご飯食べてなくて、ご飯を食べようってことになって、つまみ欲しいねってことで3人で、コンビニに。俺の化粧はそのままで。

 すれ違いのカップルの彼女のほうにガン見されました。これって。。。なんかの罰ゲームすか?

2011年2月26日土曜日

もう1時になんのか。。。

 今日、スロで大負けをくらい、疲れました。100kぐらいやられたんかな。それはいい。。。やっぱ多少は凹みますね。帰宅してクスリ飲んで休んだら、ココロがざわっときたのでレキソタン投入。やっと意識がハッキリしてきました。

 先日、会社の面談に行ってきました。前回の診断の結果と現状を説明。頭痛は多少治まったものの、心配事の種はまだあるわけで。一番問題なのが睡眠時間が不足しすぎてるという点。

 クスリを飲まなければ2~3時間。クスリを飲んで3~4.5時間。頭痛くてロキソニン飲んでも4.5時間+グダグダ。絶対量が足りませんね。なんででしょうねぇ。

 早く寝たら、途中で起きてしまうのでそれがイヤなんで最近は起きる時間に合わせて遅く寝てるなんて話しました。途中起きて、すぐ眠くてまた寝たりとかはないんですか?と聞かれたので3時とか、まだ暗い時は、もう1度寝るんですが、時間確認したり、タバコ吸ったりと、意識的にはハッキリしてしまうと説明。

 絶対的な治療法などは確立されてなく、まぁ人それぞれなので確立のしようがないんですが、まだ時間はかかりそうです。クスリ飲んででも最低6時間は睡眠を確保しないと復帰とかの話にはならないと。まぁ焦らずと言われても、まぁ、多少は凹みますね。


 生きてりゃなんとかなると思い、好きに生きてるんですが、それは生きてるだけであって生きようとはしてないものであり、死ねば楽になるんだろうけど、死んだらもうそこで終わり。だからまぁ死ぬまで生きてる。ってそんな感じなんですが。

 生きてることを一番実感できるのは痛み。その痛みを今朝、フスマに小指をぶつけ、猛烈に実感しました。俺、生きてる!もっすごい痛いもん。

2011年2月25日金曜日

無理する必要なんてどこにもない

仕事を休んでもう2年になるか

そのうちのほとんどは1人ですごしてる

たまに話とかするけど、基本的には1人

時には寂しいこともある

開き直って、孤高に1人で生きようなんて思ったこともある

人間は皆四角のボックスに入っていて、そこから誰も出ることはできない

どんなに近づいても

知り合うこと それはその箱に穴があく

話すこと 糸電話のようなものだと思う

いろいろ話したり、遊んだりして、その穴が少しずつ広がっていく

でも、完全に全てが見えることはない

その人を知ろうとすること 悪く言えば腹の探り合い 嫌いだ。

広がった穴からその人の悪い部分が見えてくる 嫌いだ。

でも、穴が広がれば 良い所も見えてくる

自分の知らない世界 自分が考えもつかなかった事を知ることもできる

そのバランス、距離を保つのは難しい

近づきすぎても、箱がぶつかってしまって痛い

遠すぎても今度は人の声すら聞こえなくなる

急いでも、焦っても、その他人のボックスを見つけることすらできないかもしれない

そのボックスを見つけたとしても 急いで穴を開ければ、その穴は雑になってすぐに壊れてしまうかも知れない

ただ自分で探さないことには、ボックスは見つからないんだよね

周りをシャットアウトしちゃうと、ボックスは見つけられないんだよね


俺ももういい年だから、終わりは少しずつでも確実に近づいてるから

運命的に箱と出会うことの期待は薄い

自分で探そう、見つけようなんて思いも少ない

だからワインボトルみたいにフラフラしてる生き方を選んだ

プカプカ浮いてたら、誰かが見つけて、拾ってくれんじゃね?って

焦る必要なんてどこにもないよ

無理する必要なんてどこにもないよ

何時拾ってくれるかわからない。ただ俺は拾ってくれた人に言いたい

拾ってくれてありがとう。

合わないんだったら、ほおってくれてかまわない

合うんだったら嬉しいな

少しでも孤独から解放される。

たまには1人の時間も必要だけど

ずっと一人ぼっちは寂しいもんだよ



結局死んだらみんな1人なんだからさ

絶妙のタイミング-2

 先日、ラーメン屋でラーメンを食べてたんですが、その店内のテレビで、車中生活をしているという男性を取材しているのが放映されてたんです。

 なんでも、以前は建設業の社長をしていたが、バブルの崩壊から景気の低迷で会社が倒産し、多額の借金の返済などで、家には暮らせず、今に至っているとか。

 まぁ、バブルの崩壊、ライブドアの問題もろもろ。一撃で破産した人はたくさんいて、特に建設業などはもろにそのあおりを食う訳で。まぁ逆に言えば、バブルの時は儲かってたって話しなんですが。


 オイルショックの年に生まれた俺の親父も土木関係の会社を営んでいました。時に、現場に連れていってくれたり、覚えているのが、夜、大量のコンクリートを乾かすんですが、夜中、気温が下がらないよう、ヒーターを付けていて、その見張りに一緒に行ったことぐらいですかね。

 そんな親父も当然同じ時代を歩んでいたんですが、タイミングが良いというか、そのバブルの時、親父も従業員も良い年で、そろそろセカンドライフを始めるかと、会社を閉めようとしてた時だったんですね。

 一番最後に受けた仕事、確かどっかの宗教団体が近くに道場を建てると。そんで修行用の滝を作って欲しいって請け負ったのが最後だったと思います。

 ただ、その時、その依頼者がいい加減な話ばかりすること、打ち合わせとか、アポをとろうとしてもいなかったりとウサンクササを感じていたんでしょう。だから、工期は気にせず、出来高払いみたいにしてもらったんですね。

 仕事には、完了払いと出来高払いというのがあって、完成した時に請け負い金が払われるもの、その月の出来高によって払われるものと種類があるんです。

 だいたいの仕事は完了払いだったりします。よって請負会社は工期までに完成しなければならないという責任が生じます。なので作業員の手配や工具、資材の準備などを先にやるんですね。それまでの日当などは請負会社が払い、完了した時点で、依頼した会社が契約したお金を払うってシステムです。

 これにはリスクがあって、完了までは請負会社が作業員に日当を払っていて、完了前に、依頼先が倒産したとなると、契約金がもらえなくて、共倒れ。いわゆる不当たりってヤツになるんです。そうなると作業員には日当を払わなければならない。ただしお金はもらえないで、困っちゃうどころかこっちまで倒産しちまうってことになってしまうんです。


 その時、親父はというと、もうセカンドライフを始め、自分の会社をたたみ、出来る範囲で造園などをしていた記憶があります。ナイスタイミングって言えばそうなりますね。いずれ景気が悪くなるのを読んでいた?先見の明があった?それは分かりません。ただ、俺の前で、仕事のお金ってものをほとんど見せなかったので、儲かっていたのか、困窮していたのかは分かりませんが、今は、ふつーに暮らしています。

 多分ですが、タイミングの問題だと思います。親父の労働意欲等から考えて。体力的にも自分で会社を営むこと、従業員を束ねることが難しいと判断し、会社をたたんじゃないかと。俺が高校に入るか入らないかぐらいだから、ちょうどバブルの絶頂の時だったと思います。

 そしてセカンドライフになったとたんにバブルが崩壊。その後円高不況や今も続く景気の低迷。それを上手く避けられた。運が良かったっていえばそうですし、絶妙なタイミングと言えばそうなります。

 当然、先見の明もあったと思います。第二次世界大戦の時、すでに日本が負けると想定し、その準備をしていた人もいたでしょう。そして勝負のタイミングを見逃さず、成功した人もいたと思います。

 逆に、何故そこで!!と絶妙なタイミングで失敗した人も多くいると思います。真実は小説より奇なりと言いますが、本当ですね。

 まぁ、そのタイミングも、これからどうなるかもワカラン人間が、ここに1人、いるんですけどね。ギャフン。

2011年2月24日木曜日

絶妙なタイミング

 起床6:30。寝たのは。。。3時ぐらいだったかな。3時間30分睡眠。まぁいつもの事だと思いつつ、今日は会社の面接があったので、7時から、天上で特務→地下、天山といつもの1人イベをこなしていたんですが。

 地下は良かったんですが、天山に入ったら急に睡魔に襲われ、俗に言う1時間20分。集中力も尽きてきてダルくなる時間にまんまとはまり、1匹狩りに行くのも一苦労な状態だったんです。でその20分後、もうダメ。これで寝落ちするぐらいだったら、天上自体落とした方がマシ。陣も組んでないし。と天上を落として、ベッドに入ったんです。目覚ましもかけないまま。

 まぁ目覚ましをかけないっていうのは、よっぽどの事がない限り、1時間ぐらいで目が覚めるので別にいいかと。ただ、2度寝は極力しないようにしてるんです。仮眠なので眠りは当然浅く、ほとんどと言っていいほど夢を見て、起きた時にココロがざわざわしてしまうから。

 今朝、2度寝から起きた時もざわついて、少しの頭痛。その為にレキソタンを処方されているのですが、それでまた眠くなり、遅刻したらまずい。と思い、飲むのを我慢したんです。

 ざわついてて、頭痛いもんだから、準備OK。出発!あ、鍵忘れた。。。おし今度こそ!ってか一番大事なバッグ持ってないじゃん。なんて家3往復ぐらいしたり。ざわつき、頭痛に加え、ケアレスミスを連発する自分へのイラだちも感じはじめました。

 で、やっとのこと外に出たらなんか道路が濡れてるじゃないですか。どうも雨が降ってるよう。普段だったら普通に傘を用意するトコですが、もういい。知るか。とパーカーのフードを被り出発したんです。

 雨は霧雨に近く、そしてさほど寒くない。なんか包み込まれるような感じ。弱酸性雨でも、なんか潤うような感じ。ココロも潤うような感じ。雨もそんなに悪いものではないな。となんとなく気分は晴れてきて、ざわつきとかイラつきとかが治まってくれて。良いタイミングで降ってくれるじゃねーかこの野郎なんて思ったり。

 電車にのって、面談場所のある八王子へ。着いた時には雨は上がり、日の光もさしています。霧雨で潤ったところに、サワヤカな、春な日の光。また1つココロも晴れてくれて、傘という荷物も持ってきてないという思いから、更にまた良いタイミングだなぁなんて思った1日でした。

 偶然、自然での出来事なんだけど、良くとらえれば良い思いになるし、悪くとらえれば悪くなってしまうという一例。


 晴れすぎて、あっちぃ!上着いらねぇじゃん!つかマジ冬が終わっちまうよ。なんだよこの暑さ。。。しかも歩き疲れたし。チッ!悪いタイミングだなぁ。。。とも思った悪くなってしまった一例。

2011年2月23日水曜日

行動の美学

 これから紹介するものは、今野和義氏という登山家が残した言葉です。登山家である以上、登山に対しての言葉なのですが、置き換えればいろいろな事に通じると思います。

 「常に真摯であり、真実を見つめ、真実を求めたい。登山、それはただの一歩たりとも己の意思なしに前進することはできない。
  理論、世間、そんなものはくそくらえだ。登山とは行動すること。すなわち登ることに意義があるのだ。そう、登山とは行動の美学である」


 「人生とは、長く生きることも素晴らしいが、それだけではない。いかに生きたかということがもっとも重要ではないだろうか。

  ~中略~

 人間は死に直面した時、初めて生きることの素晴らしさを知る。認識のない行動は無に等しい。万物は認識した時に初めてその価値を見出す」

 「岩と雪」より


 例えば、登山を病に置き換えると非常に俺にとっては共感できたりします。死には直結しませんが、危機的な状況は自然のように、突然やってきたり。

 その危機的状況を病院に行き、適切なアドバイスを受けたり、リハビリをしてみたり。。。それは己の意思で行動する事に意義がある。その行動に対して認識がなければ無に等しい。己、これからとる行動に対して認識することにより、初めてその価値を見出す。

 まだ、危機的状況も死にも直面、まっすぐに向き合っていない、己を認識してほしい。そして今日とる行動を認識し、価値を見出してほしい。己のとる行動に対して、意義を感じて欲しい。


 今日、行動する君へ。

2011年2月22日火曜日

ズルイ!

 髪がだいぶ伸びてきました。時々、前髪などは切ってもらったりしてたんですが、最後にちゃんと切った11月なんじゃないかと。そうするともう4ヶ月になるわけで、伸びる訳ですね。

 耳にかからないよう切った横も耳にかかるようになり、上、後ろともに伸びているのを実感します。昨年から伸ばしているモミアゲではない牙もところどころ、長さ調整と言う名のタバコを吸おうとして燃やすこととかしましたが、今やアゴまで届く長さになって、牙というより尻尾?みたいな感じです。

 で、近々切ってもらおうと思うんですが、さてどのようにしようかなと。

 髪型に関して、あまり良い風に言われたことがありません。まぁソフトモヒカンとかにすると男っぽく見えたりもするれんですが、自分、オデコが広いんです。断じて進行しているわけではありません。中学の時に計ってみたらやはり広いと。俺のちょっとしたコンプレックスで、前髪を上げるってことはまずしないんですね。

 ただ、スノーボードとかで、ニットキャップを被った時、前髪が目にかかってしまうとゴーグルをした時、目に刺さってしまったり、視界をさえぎられてしまうので、前髪はいわゆるオン・ザ・眉毛。帽子を被っても目に入らない長さにしてもらっているんです。

 なので前髪はおろすのがメインとなるんですが、ちょっと髪が伸びて長さを調整してみたら、「お前、なんか広末涼子みたいな髪型だな」なんて言われたり、今、カラーとか入れたり、エクステとか付けてもらったりしてるんですが、一目で、ヲタっぽいだの青に染めたらヲタクブルーなんて言われたり。偏見だと思います。

 ってか、そう言われ続けていると、もう開き直っていっそのこと、女性みたいな髪形にしちまうか。なんて思っている俺がいたりして。長さ的にも十分可能っていうか、以前街を歩いていたら全く同じような髪型の女性がいたりして。

 いつも、代官山付近に在住している友人の相方様に切ってもらい、切り終わったら、代官山とか中目黒を散策したりするのが好きだったりします。オシャレ服屋さんとかいっぱいあるし。レディスの服とか見るの、結構好きだったりします。別に女装したいとかそおいうのではないんですが、ファッションとしてカワイイの多いじゃないですか。

 トータルコーディネートとか考えたりして、この組み合わせとか良いんじゃない?なんて思ってみたり。下着の店に入ることも特に抵抗は感じません。まぁ1人で入るのはちょっと。。。ですが。

 だいたい友人と一緒に入ってこれ、カワイイとか言ったりするんですが、店員さんが、ご試着できますよ~なんて言ったりすると、俺、着ませんから!なんて言って困らせたり。俺に言ったんじゃねーっつーの。

 まぁそんなこんなで服屋さん、いっぱいあるんですが、レディスの店ばっかりでメンズの店はほとんどない。ずるい!なんて思ったりもします。が、無いものは仕方ないし、レディスの店でも十分楽しめるんでかまわないんですが。最近着てる服もユニセックス的な組み合わせ多いし。

 で、ふと思いついたのが、今の髪で、いっそのこともう女性の髪型にしちまうかと。ショートですとか言えば通じるだろと。そんで女性っぽい格好して新宿2丁目でも行ってみるかと。切ってくれる人はもともとヘアメイクのお仕事もしてて、メイクもできんじゃないかと。ってかヒゲ隠して、眉毛ちょっと整えれば案外いけんじゃね?なんて思ったり。

 そんでオカマバーに行って、女装とかしてみて、俺がどんだけ通用するか、試してみるという体を張りまくったイベントもアリなんじゃないか。なんて思ったりもします。スネ毛なんかはデニールの濃いタイツとかレギンスで誤魔化せるだろ。足もちっちゃくて24cmなんて余裕で履けるし、もともと骨細の体型でどんなに鍛えたところでガッシリ体型にはなれないし。

 不利な点で言うと、顔がデカイのと身長があるぐらいか。170cmはあるのでそれにヒールのある靴なんて履いたらエライ長身のオカマさんが出来上がってしまいます。でも、それぐらいか。

 。。。。。やべ。スカウトなんてされたらどうしよう。

なんども言うが

メンドククサイことは嫌いです

メンドクサイことをやるのも嫌いです

ボランティアなぞクソ食らえです

クダラナイ事が嫌いです

ドウデモイイ人間がどうなろうと俺の知ったことではありません

それで考えるのも言葉を放つのも行動するのも嫌いです

楽して暮らせるのがいいです

楽しく暮らせるのがいいです

世の中が思い通りになったらいいなといつも思ってます

自分本位です

自分が一番大事です

簡単に言えば、俺は悪人です



だから、そうなるために、どんな手段も選ばない。どんな苦労もいとわない。

それを踏まえて、俺はいろいろ考え、いろいろ話し、いろいろ行動してる。

誰の為でもない。自分の為に。



惜しまれながら死んでいく 英雄にあこがれ
イバラの道を見つけ出し 靴を脱ぎ捨てる
運動場の端っこで 悪魔を育てよう   byブルーハーツ

2011年2月21日月曜日

天運と地運

 裏麻雀で20年間無敗という伝説を作り、引退後、雀荘と道場を作り今なお崇拝されている桜井って人がいます。麻雀を「道」というものしようとしてる人の考えなんですが。

 世の中、”運”という非常にあやふやなものが確かに存在し、その時間、その日、一生でもどっちにいくか分からない非常にやっかいな代物であって。

 ひとまず麻雀で話をしましょう。対局が始まりました。その時にやっぱり誰かが”ついてる”人がいて、配パイやツモも良かったり、皆より早く上がれる。いわば最初にもらった運。それを天運といいます。

 当然、天運に見放されいる人もいるわけで、そのままじゃ天運の波に乗られ大差をつけられてしまいます。そこで必要なのが地運と呼ばれる物。

 相手の天運を技術、時には常人には理解できない事で剥ぎ取り、天運を平等に、地運勝負の”流れ”にもっていく。自らの地運をなんとかして上げていく。当然、絶妙なタイミングが必要だし、”流れ”を把握しなければなりません。


 じゃあその”流れ”って何?これもまた非常にファジーなものですよね。野球とかバレーとかサッカーとかでもよく使うじゃないですか。流れが変わったとか、このような流れになるとか。どんな流れよ?なんて分からない人には到底理解できません。だって未来なんて見えないもん。

 この”流れ”ってヤツは直感や予知能力とも違い、技術的なものであって、それを把握出来るんであれば、日常生活においても非常に有利に働くものだと思います。ただ、それって何??

 あるプロ野球の人が言ってました。

”同じポジションで何年もやっていて。練習でも試合でもバッターが打った球を取り、ファーストに投げる。当然、ランナーがいれば違う行動をとるが基本的にはそんなに多くの種類があるわけではない。ただ、それをを何千、何万回とやるんだが、同じ状況でも全く同じボールが飛んでくることはない。

 その時、その何千、何万回の経験の中から一番似ている物を瞬時判断し、一番最善な方法を取る。それをも何千回とやっていると、こうなったらこうなるだろうの「だろう」が現実と近くなっていって、それ全体の結果がなんとなく分かるようになる。それを「流れ」と呼ぶのではないかと思う”

 と。

 なるほど。それだと理屈は通りますね。いわゆる経験則をもっともっと凝縮した物かと思います。いろいろな経験をしたり、同じ経験を何度も何度も繰り返すうちに、たどり着く結果やどの過程の部分が勝負所だっていうのが分かってくる。それを行うことにより全体の「流れ」を自分で変えていく。それが地運ではないかと。

 桜井氏はこの地運を非常に重視しています。ってか天運ばかりは、それこそ神から与えられたパラメーターであって、生まれつき運の良い人悪い人。それこそ、金持ちの家に生まれてくるか、貧乏な家に生まれてくるか。これも天運の1つだと思います。

 だけど、いろいろな経験。多くの経験。地運を持っていないと、与えられた天運を剥ぎ取られたり、逆にせっかく天運に恵まれているのにそのチャンス、機会を逃してしまったりしてしまう。逆に言えば地運を鍛えておけば、相手の天運を剥ぎ取ることができる。もしくは、来た、チャンスを逃さないことができる。天運という曖昧なものに翻弄されずに済むのは非常に有利なことだと思います。

 良い事、悪い事、成功したこと、失敗した多くの事、言った事、言われた事、苦しかった事、楽しかった事、得た物、失った物。。。これらは全て、自分の糧だと思います。今病んでる俺でも、得た物は大きいと思います。
 
 せっかくこれまで得た地運、見える流れ活かすも殺すも最後は結局自分次第だと思います。「流れ」を見てし、チャンスをつかめ。それが失敗だったとしても、それはそれで、糧なんだから。

それでも時計は回ってる

 ぶっちゃけて言うと眠いです。詳細は別として、夜が遅くなってしまったからなんですが。徹夜すると次の日に残る。。。くぅやはり年かなんて思いつつも、その疲労より、大変な人は五万といるわけで。

 朝、新聞がわりにグーグルニュースを見るんですが、まぁ時事ぐらいは知っておかないと。リビアではカダフィ次男の問題で内戦の危機。中国では大規模なデモで厳戒態勢。それに比べて日本はまだオザワだの解散だの、庶民には全くもって関心のないことで騒いでいて、平和だなぁとつくづく思ったりしたんですが。

 先週、俺が死にたい大波がきた時、本人はそんな気がなくても、防波堤になってくれた恩人?とも言える友人も眠いダルイの俺よりキツイ、苦しんでる人たちの中の1人。

 詳細は別として、本人がとった行動、言動、会話。本当にこれでよかったのか?迷い。後悔。衝動的なもの。いろいろなことを悩んでいて、寝たかどうかもあやしいと思います。

 それが正しいのか正しくないのか?別の行動をとればよかったのか?行ったことは良かったのか、悪かったのか?それらは全て結果でしか出てこなくて、その時とった行動に良いも悪いもないと思います。

 ただ、俺も含めて、キツイ時はどうしても心の視野がせまくなってしまい、今のことしか考えられなかったり、どうしてもネガティブな思想になってしまう。なんとか時間薬で楽になってくれればいいのですが。

 俺が言えるのは、今まで、同じようなことでさんざ苦しんできた。そして決断し、行動し、今にいたってる。それは他人の命令ではなく、本人が決めたこと。だから俺はそれを尊重し、応援し、手助けがいるのであれば、それに面倒なんて思いはいっさいない訳で。ただ、決めて行動した今まで。それは鉄の強い意志がないと出来なかったものだと思います。だから、今の感情に流されないで欲しい。ひとまず休んで落ち着いて。考えるのはそれからでも遅くないと思います。

 あと俺よりキツイ、友人に。自分で離れること。それはとても簡単だと思う。手は差し伸べて、それの手助けをしてくれた人もいる。それを簡単に、切捨てないで欲しい。君のことを思い、話してることを忘れないで欲しい。それには、君の行動も必要だってことを知って欲しい。