2009年3月30日月曜日

音の無い会話

 今朝、会社へ行く途中で、電車の中2人の学生さんを見ました。

 その2人は、どちらか、あるいは両方が言語に障害を持っているみたいで、いわゆる「手話」という手法で会話してたんです。

 耳が聞こえないからなのか、上手く喋れないからなのか分かりませんが、流暢な手話で楽しそうに会話してたんです。それを見て。

 普通のお喋りでは、電話とかそうですが、別に相手の顔を見なくてもある程度通じることはできるんですがが、手話は音を一切使わない、手の動きと少しの口の動き、で当然ですが相手を見なくてはコミニケーションが成り立ちません。

 文字と同じで手の動きだけでは感情は上手く伝わらなく、当たり前ですが常に相手の顔、主に目を見て会話を見て相手の感情を読み取るんですね。きっと。

 彼らは、目は口ほどに物を言う。これに思いっきり長けてると思います。ある意味それが頼りですから。それは、喋れる人が勉強して手話を取得したとしてもそれだけはかなわないんじゃないかと。

 例えば自分が英語を覚えたとしてそれである程度外人の方と会話が通じても生まれた時から英語を使っている人たちには絶対にかなわないと。その逆も然りで。

 俺は幸いにして?喋れるから、喋れない、手話で会話をする人達の思い、苦労とかは分かりませんし、喋れず、手話で会話をする人達が喋れる俺をどう思うかも分かりません。

 ただ、会話の一番の基本、相手の顔を見て話す。という部分では喋る行為より、彼らの方が確実に、美しいと思います。

 今朝、手話で会話している2人を見て、すげぇ、素敵だと思いました。

 昔昔、人々は「バベルの塔」という天に届く塔を作ろうとして神様の怒りを買い、言葉を分けられ、上手く感情等を伝えることができず、争いを作ったとされています。

 だけど言葉のいらない彼らだったら、それを完成出来たのではないか。神様も怒りのやり場にさぞ困ることだろうと。

1 件のコメント:

空 さんのコメント...

心温まるいい話でした。

私も相手の顔をちゃんと見て話せる様にしなきゃと思いました。