2011年2月14日月曜日

十人十色-2

 そんなんで、当日はなんとか我慢できました。そして日曜、友人が来てくれて。飯の前にいろいろ話しをしてたんです。自宅の風呂釜が爆破し、お風呂にも入りたかったみだし。

 その友人も病であり、当然堕ちる時もあって、お喋りに付き合ってくれた人も周りに病の方がいたりして、病の事を理解している人なんですね。逆にあまり分からない人には、その俺の言ってる事自体理解出来ないし、100%ネガティブな話についていないと思います。

 そう思うと、大変ありがたいな。なんて思います。

 そんで堕ちた時の話になって、その友人には、自分を破壊する事に理解はできても俺はそれはないな。ってな話になったんです。当然、前にも書きましたが堕ちた時の状態は人それぞれであり、俺の死にたくなる病も理解は出来るけど共感も納得も賛同も出来ないとの意見。その通りです。俺もそう思いますから。

 いろいろな人がいて、いろいろな性格があって、いろいろな意見を持って、いろいろなビジョンを持って。落ち着いて考えるとやっぱ70億人の人がいて、70億のココロがあるんだなぁと。

 だから、逆に、その人の意見に理解は出来るけど共感はできないな。。。とか俺が思ったりするのも当然であって、そこでどうしてもそれってどうなん?なんて疑問が出来てしまったりすると距離っていうかその人に対するポジションが変わっていったり。

 自己分析してみると、どうも俺は表裏があるのってあまり好きじゃないようです。ってかあまり好きじゃありません。だから、陰口とかするのも好きじゃないし。言いたい事があるんなら直接言うか、最後まで黙ってるか。逆に陰口を叩かれること自体、陰口ですから俺の耳に入らなければ知らないわけで。でもそれが吐露された時、なに陰でコソコソやってんの?って直接文句言われるより腹立ちますね。

 言いづらいこと、言う必要がないこと。言わなくてもいいこと。秘密にしときたいこと。秘密にしてる人。裏で何かをするってことには、なにかしらの理由がある訳で。同じ場でも人によって裏表があったり。会社でいえば、上司にはペコペコ頭を下げて下の人には自分に否があってもふんぞりかえってるなんて人もいる訳で。そんな手のひらを返す人は論外ですが。

 ただ、手のこうのとひらの部分がある人にはどうしても全霊の信頼を寄せるってことは出来ないですね。裏では何を考えてるか分からない。表には出さなくてももしかしたら裏では。。。なんて疑心暗鬼になってしまったり。そんな疑心暗鬼の元、懐の探りあいなんてするの、イヤじゃないですか。

 当然そおいう人がいるってのも理解できます。実際、いましたから。まぁその爆弾を処理したのは俺ではないのですが。俺の首に引っかかってる爆弾なのに。テヘ。

 それが良いとか悪いとかでは決してなく、そおいう人なんだと。前にも書きましたが似ていても同じ性格の人なんていない訳で、それを否定してる訳じゃないです。

 例えば戦争。今でも人vs人で殺しあってる。それぞれの理由、それぞれの信念、性格があって。どちらも正義と思ってて。でもそれに良いも悪いもないんです。悲しい事とは思いますが。いろんな性格の人たち。それにも良いも悪いもないんです。培ってきた経験だったり、性格だったり。それに正解も間違いはあっても、良い悪いってのは無いと思うんです。

 それぞれの性格があって、それぞれのポジションがあって、そして友人になったり、それが輪になってみたり。そこで合わないと思ったら離れれば良いし、居心地がいいと思えば楽しくすごせばいい。

 離れたからと言って、それが悪いってわけじゃなく、それがその人にとってベターな選択なんだなってそう思うんです。

 俺自身、あまり表裏があること。それをすること自体好きじゃないんで常にオープンな会話だったり行動だったりしてしまいます。当然それが裏目に出たり、それを好みとしない人もいるでしょう。

 でも、そんな表だけの性格な俺、割と好き。

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