起床6:30。寝たのは。。。3時ぐらいだったかな。3時間30分睡眠。まぁいつもの事だと思いつつ、今日は会社の面接があったので、7時から、天上で特務→地下、天山といつもの1人イベをこなしていたんですが。
地下は良かったんですが、天山に入ったら急に睡魔に襲われ、俗に言う1時間20分。集中力も尽きてきてダルくなる時間にまんまとはまり、1匹狩りに行くのも一苦労な状態だったんです。でその20分後、もうダメ。これで寝落ちするぐらいだったら、天上自体落とした方がマシ。陣も組んでないし。と天上を落として、ベッドに入ったんです。目覚ましもかけないまま。
まぁ目覚ましをかけないっていうのは、よっぽどの事がない限り、1時間ぐらいで目が覚めるので別にいいかと。ただ、2度寝は極力しないようにしてるんです。仮眠なので眠りは当然浅く、ほとんどと言っていいほど夢を見て、起きた時にココロがざわざわしてしまうから。
今朝、2度寝から起きた時もざわついて、少しの頭痛。その為にレキソタンを処方されているのですが、それでまた眠くなり、遅刻したらまずい。と思い、飲むのを我慢したんです。
ざわついてて、頭痛いもんだから、準備OK。出発!あ、鍵忘れた。。。おし今度こそ!ってか一番大事なバッグ持ってないじゃん。なんて家3往復ぐらいしたり。ざわつき、頭痛に加え、ケアレスミスを連発する自分へのイラだちも感じはじめました。
で、やっとのこと外に出たらなんか道路が濡れてるじゃないですか。どうも雨が降ってるよう。普段だったら普通に傘を用意するトコですが、もういい。知るか。とパーカーのフードを被り出発したんです。
雨は霧雨に近く、そしてさほど寒くない。なんか包み込まれるような感じ。弱酸性雨でも、なんか潤うような感じ。ココロも潤うような感じ。雨もそんなに悪いものではないな。となんとなく気分は晴れてきて、ざわつきとかイラつきとかが治まってくれて。良いタイミングで降ってくれるじゃねーかこの野郎なんて思ったり。
電車にのって、面談場所のある八王子へ。着いた時には雨は上がり、日の光もさしています。霧雨で潤ったところに、サワヤカな、春な日の光。また1つココロも晴れてくれて、傘という荷物も持ってきてないという思いから、更にまた良いタイミングだなぁなんて思った1日でした。
偶然、自然での出来事なんだけど、良くとらえれば良い思いになるし、悪くとらえれば悪くなってしまうという一例。
晴れすぎて、あっちぃ!上着いらねぇじゃん!つかマジ冬が終わっちまうよ。なんだよこの暑さ。。。しかも歩き疲れたし。チッ!悪いタイミングだなぁ。。。とも思った悪くなってしまった一例。
2011年2月23日水曜日
行動の美学
これから紹介するものは、今野和義氏という登山家が残した言葉です。登山家である以上、登山に対しての言葉なのですが、置き換えればいろいろな事に通じると思います。
「常に真摯であり、真実を見つめ、真実を求めたい。登山、それはただの一歩たりとも己の意思なしに前進することはできない。
理論、世間、そんなものはくそくらえだ。登山とは行動すること。すなわち登ることに意義があるのだ。そう、登山とは行動の美学である」
「人生とは、長く生きることも素晴らしいが、それだけではない。いかに生きたかということがもっとも重要ではないだろうか。
~中略~
人間は死に直面した時、初めて生きることの素晴らしさを知る。認識のない行動は無に等しい。万物は認識した時に初めてその価値を見出す」
「岩と雪」より
例えば、登山を病に置き換えると非常に俺にとっては共感できたりします。死には直結しませんが、危機的な状況は自然のように、突然やってきたり。
その危機的状況を病院に行き、適切なアドバイスを受けたり、リハビリをしてみたり。。。それは己の意思で行動する事に意義がある。その行動に対して認識がなければ無に等しい。己、これからとる行動に対して認識することにより、初めてその価値を見出す。
まだ、危機的状況も死にも直面、まっすぐに向き合っていない、己を認識してほしい。そして今日とる行動を認識し、価値を見出してほしい。己のとる行動に対して、意義を感じて欲しい。
今日、行動する君へ。
「常に真摯であり、真実を見つめ、真実を求めたい。登山、それはただの一歩たりとも己の意思なしに前進することはできない。
理論、世間、そんなものはくそくらえだ。登山とは行動すること。すなわち登ることに意義があるのだ。そう、登山とは行動の美学である」
「人生とは、長く生きることも素晴らしいが、それだけではない。いかに生きたかということがもっとも重要ではないだろうか。
~中略~
人間は死に直面した時、初めて生きることの素晴らしさを知る。認識のない行動は無に等しい。万物は認識した時に初めてその価値を見出す」
「岩と雪」より
例えば、登山を病に置き換えると非常に俺にとっては共感できたりします。死には直結しませんが、危機的な状況は自然のように、突然やってきたり。
その危機的状況を病院に行き、適切なアドバイスを受けたり、リハビリをしてみたり。。。それは己の意思で行動する事に意義がある。その行動に対して認識がなければ無に等しい。己、これからとる行動に対して認識することにより、初めてその価値を見出す。
まだ、危機的状況も死にも直面、まっすぐに向き合っていない、己を認識してほしい。そして今日とる行動を認識し、価値を見出してほしい。己のとる行動に対して、意義を感じて欲しい。
今日、行動する君へ。
2011年2月22日火曜日
ズルイ!
髪がだいぶ伸びてきました。時々、前髪などは切ってもらったりしてたんですが、最後にちゃんと切った11月なんじゃないかと。そうするともう4ヶ月になるわけで、伸びる訳ですね。
耳にかからないよう切った横も耳にかかるようになり、上、後ろともに伸びているのを実感します。昨年から伸ばしているモミアゲではない牙もところどころ、長さ調整と言う名のタバコを吸おうとして燃やすこととかしましたが、今やアゴまで届く長さになって、牙というより尻尾?みたいな感じです。
で、近々切ってもらおうと思うんですが、さてどのようにしようかなと。
髪型に関して、あまり良い風に言われたことがありません。まぁソフトモヒカンとかにすると男っぽく見えたりもするれんですが、自分、オデコが広いんです。断じて進行しているわけではありません。中学の時に計ってみたらやはり広いと。俺のちょっとしたコンプレックスで、前髪を上げるってことはまずしないんですね。
ただ、スノーボードとかで、ニットキャップを被った時、前髪が目にかかってしまうとゴーグルをした時、目に刺さってしまったり、視界をさえぎられてしまうので、前髪はいわゆるオン・ザ・眉毛。帽子を被っても目に入らない長さにしてもらっているんです。
なので前髪はおろすのがメインとなるんですが、ちょっと髪が伸びて長さを調整してみたら、「お前、なんか広末涼子みたいな髪型だな」なんて言われたり、今、カラーとか入れたり、エクステとか付けてもらったりしてるんですが、一目で、ヲタっぽいだの青に染めたらヲタクブルーなんて言われたり。偏見だと思います。
ってか、そう言われ続けていると、もう開き直っていっそのこと、女性みたいな髪形にしちまうか。なんて思っている俺がいたりして。長さ的にも十分可能っていうか、以前街を歩いていたら全く同じような髪型の女性がいたりして。
いつも、代官山付近に在住している友人の相方様に切ってもらい、切り終わったら、代官山とか中目黒を散策したりするのが好きだったりします。オシャレ服屋さんとかいっぱいあるし。レディスの服とか見るの、結構好きだったりします。別に女装したいとかそおいうのではないんですが、ファッションとしてカワイイの多いじゃないですか。
トータルコーディネートとか考えたりして、この組み合わせとか良いんじゃない?なんて思ってみたり。下着の店に入ることも特に抵抗は感じません。まぁ1人で入るのはちょっと。。。ですが。
だいたい友人と一緒に入ってこれ、カワイイとか言ったりするんですが、店員さんが、ご試着できますよ~なんて言ったりすると、俺、着ませんから!なんて言って困らせたり。俺に言ったんじゃねーっつーの。
まぁそんなこんなで服屋さん、いっぱいあるんですが、レディスの店ばっかりでメンズの店はほとんどない。ずるい!なんて思ったりもします。が、無いものは仕方ないし、レディスの店でも十分楽しめるんでかまわないんですが。最近着てる服もユニセックス的な組み合わせ多いし。
で、ふと思いついたのが、今の髪で、いっそのこともう女性の髪型にしちまうかと。ショートですとか言えば通じるだろと。そんで女性っぽい格好して新宿2丁目でも行ってみるかと。切ってくれる人はもともとヘアメイクのお仕事もしてて、メイクもできんじゃないかと。ってかヒゲ隠して、眉毛ちょっと整えれば案外いけんじゃね?なんて思ったり。
そんでオカマバーに行って、女装とかしてみて、俺がどんだけ通用するか、試してみるという体を張りまくったイベントもアリなんじゃないか。なんて思ったりもします。スネ毛なんかはデニールの濃いタイツとかレギンスで誤魔化せるだろ。足もちっちゃくて24cmなんて余裕で履けるし、もともと骨細の体型でどんなに鍛えたところでガッシリ体型にはなれないし。
不利な点で言うと、顔がデカイのと身長があるぐらいか。170cmはあるのでそれにヒールのある靴なんて履いたらエライ長身のオカマさんが出来上がってしまいます。でも、それぐらいか。
。。。。。やべ。スカウトなんてされたらどうしよう。
耳にかからないよう切った横も耳にかかるようになり、上、後ろともに伸びているのを実感します。昨年から伸ばしているモミアゲではない牙もところどころ、長さ調整と言う名のタバコを吸おうとして燃やすこととかしましたが、今やアゴまで届く長さになって、牙というより尻尾?みたいな感じです。
で、近々切ってもらおうと思うんですが、さてどのようにしようかなと。
髪型に関して、あまり良い風に言われたことがありません。まぁソフトモヒカンとかにすると男っぽく見えたりもするれんですが、自分、オデコが広いんです。断じて進行しているわけではありません。中学の時に計ってみたらやはり広いと。俺のちょっとしたコンプレックスで、前髪を上げるってことはまずしないんですね。
ただ、スノーボードとかで、ニットキャップを被った時、前髪が目にかかってしまうとゴーグルをした時、目に刺さってしまったり、視界をさえぎられてしまうので、前髪はいわゆるオン・ザ・眉毛。帽子を被っても目に入らない長さにしてもらっているんです。
なので前髪はおろすのがメインとなるんですが、ちょっと髪が伸びて長さを調整してみたら、「お前、なんか広末涼子みたいな髪型だな」なんて言われたり、今、カラーとか入れたり、エクステとか付けてもらったりしてるんですが、一目で、ヲタっぽいだの青に染めたらヲタクブルーなんて言われたり。偏見だと思います。
ってか、そう言われ続けていると、もう開き直っていっそのこと、女性みたいな髪形にしちまうか。なんて思っている俺がいたりして。長さ的にも十分可能っていうか、以前街を歩いていたら全く同じような髪型の女性がいたりして。
いつも、代官山付近に在住している友人の相方様に切ってもらい、切り終わったら、代官山とか中目黒を散策したりするのが好きだったりします。オシャレ服屋さんとかいっぱいあるし。レディスの服とか見るの、結構好きだったりします。別に女装したいとかそおいうのではないんですが、ファッションとしてカワイイの多いじゃないですか。
トータルコーディネートとか考えたりして、この組み合わせとか良いんじゃない?なんて思ってみたり。下着の店に入ることも特に抵抗は感じません。まぁ1人で入るのはちょっと。。。ですが。
だいたい友人と一緒に入ってこれ、カワイイとか言ったりするんですが、店員さんが、ご試着できますよ~なんて言ったりすると、俺、着ませんから!なんて言って困らせたり。俺に言ったんじゃねーっつーの。
まぁそんなこんなで服屋さん、いっぱいあるんですが、レディスの店ばっかりでメンズの店はほとんどない。ずるい!なんて思ったりもします。が、無いものは仕方ないし、レディスの店でも十分楽しめるんでかまわないんですが。最近着てる服もユニセックス的な組み合わせ多いし。
で、ふと思いついたのが、今の髪で、いっそのこともう女性の髪型にしちまうかと。ショートですとか言えば通じるだろと。そんで女性っぽい格好して新宿2丁目でも行ってみるかと。切ってくれる人はもともとヘアメイクのお仕事もしてて、メイクもできんじゃないかと。ってかヒゲ隠して、眉毛ちょっと整えれば案外いけんじゃね?なんて思ったり。
そんでオカマバーに行って、女装とかしてみて、俺がどんだけ通用するか、試してみるという体を張りまくったイベントもアリなんじゃないか。なんて思ったりもします。スネ毛なんかはデニールの濃いタイツとかレギンスで誤魔化せるだろ。足もちっちゃくて24cmなんて余裕で履けるし、もともと骨細の体型でどんなに鍛えたところでガッシリ体型にはなれないし。
不利な点で言うと、顔がデカイのと身長があるぐらいか。170cmはあるのでそれにヒールのある靴なんて履いたらエライ長身のオカマさんが出来上がってしまいます。でも、それぐらいか。
。。。。。やべ。スカウトなんてされたらどうしよう。
なんども言うが
メンドククサイことは嫌いです
メンドクサイことをやるのも嫌いです
ボランティアなぞクソ食らえです
クダラナイ事が嫌いです
ドウデモイイ人間がどうなろうと俺の知ったことではありません
それで考えるのも言葉を放つのも行動するのも嫌いです
楽して暮らせるのがいいです
楽しく暮らせるのがいいです
世の中が思い通りになったらいいなといつも思ってます
自分本位です
自分が一番大事です
簡単に言えば、俺は悪人です
だから、そうなるために、どんな手段も選ばない。どんな苦労もいとわない。
それを踏まえて、俺はいろいろ考え、いろいろ話し、いろいろ行動してる。
誰の為でもない。自分の為に。
惜しまれながら死んでいく 英雄にあこがれ
イバラの道を見つけ出し 靴を脱ぎ捨てる
運動場の端っこで 悪魔を育てよう byブルーハーツ
メンドクサイことをやるのも嫌いです
ボランティアなぞクソ食らえです
クダラナイ事が嫌いです
ドウデモイイ人間がどうなろうと俺の知ったことではありません
それで考えるのも言葉を放つのも行動するのも嫌いです
楽して暮らせるのがいいです
楽しく暮らせるのがいいです
世の中が思い通りになったらいいなといつも思ってます
自分本位です
自分が一番大事です
簡単に言えば、俺は悪人です
だから、そうなるために、どんな手段も選ばない。どんな苦労もいとわない。
それを踏まえて、俺はいろいろ考え、いろいろ話し、いろいろ行動してる。
誰の為でもない。自分の為に。
惜しまれながら死んでいく 英雄にあこがれ
イバラの道を見つけ出し 靴を脱ぎ捨てる
運動場の端っこで 悪魔を育てよう byブルーハーツ
2011年2月21日月曜日
天運と地運
裏麻雀で20年間無敗という伝説を作り、引退後、雀荘と道場を作り今なお崇拝されている桜井って人がいます。麻雀を「道」というものしようとしてる人の考えなんですが。
世の中、”運”という非常にあやふやなものが確かに存在し、その時間、その日、一生でもどっちにいくか分からない非常にやっかいな代物であって。
ひとまず麻雀で話をしましょう。対局が始まりました。その時にやっぱり誰かが”ついてる”人がいて、配パイやツモも良かったり、皆より早く上がれる。いわば最初にもらった運。それを天運といいます。
当然、天運に見放されいる人もいるわけで、そのままじゃ天運の波に乗られ大差をつけられてしまいます。そこで必要なのが地運と呼ばれる物。
相手の天運を技術、時には常人には理解できない事で剥ぎ取り、天運を平等に、地運勝負の”流れ”にもっていく。自らの地運をなんとかして上げていく。当然、絶妙なタイミングが必要だし、”流れ”を把握しなければなりません。
じゃあその”流れ”って何?これもまた非常にファジーなものですよね。野球とかバレーとかサッカーとかでもよく使うじゃないですか。流れが変わったとか、このような流れになるとか。どんな流れよ?なんて分からない人には到底理解できません。だって未来なんて見えないもん。
この”流れ”ってヤツは直感や予知能力とも違い、技術的なものであって、それを把握出来るんであれば、日常生活においても非常に有利に働くものだと思います。ただ、それって何??
あるプロ野球の人が言ってました。
”同じポジションで何年もやっていて。練習でも試合でもバッターが打った球を取り、ファーストに投げる。当然、ランナーがいれば違う行動をとるが基本的にはそんなに多くの種類があるわけではない。ただ、それをを何千、何万回とやるんだが、同じ状況でも全く同じボールが飛んでくることはない。
その時、その何千、何万回の経験の中から一番似ている物を瞬時判断し、一番最善な方法を取る。それをも何千回とやっていると、こうなったらこうなるだろうの「だろう」が現実と近くなっていって、それ全体の結果がなんとなく分かるようになる。それを「流れ」と呼ぶのではないかと思う”
と。
なるほど。それだと理屈は通りますね。いわゆる経験則をもっともっと凝縮した物かと思います。いろいろな経験をしたり、同じ経験を何度も何度も繰り返すうちに、たどり着く結果やどの過程の部分が勝負所だっていうのが分かってくる。それを行うことにより全体の「流れ」を自分で変えていく。それが地運ではないかと。
桜井氏はこの地運を非常に重視しています。ってか天運ばかりは、それこそ神から与えられたパラメーターであって、生まれつき運の良い人悪い人。それこそ、金持ちの家に生まれてくるか、貧乏な家に生まれてくるか。これも天運の1つだと思います。
だけど、いろいろな経験。多くの経験。地運を持っていないと、与えられた天運を剥ぎ取られたり、逆にせっかく天運に恵まれているのにそのチャンス、機会を逃してしまったりしてしまう。逆に言えば地運を鍛えておけば、相手の天運を剥ぎ取ることができる。もしくは、来た、チャンスを逃さないことができる。天運という曖昧なものに翻弄されずに済むのは非常に有利なことだと思います。
良い事、悪い事、成功したこと、失敗した多くの事、言った事、言われた事、苦しかった事、楽しかった事、得た物、失った物。。。これらは全て、自分の糧だと思います。今病んでる俺でも、得た物は大きいと思います。
せっかくこれまで得た地運、見える流れ活かすも殺すも最後は結局自分次第だと思います。「流れ」を見てし、チャンスをつかめ。それが失敗だったとしても、それはそれで、糧なんだから。
世の中、”運”という非常にあやふやなものが確かに存在し、その時間、その日、一生でもどっちにいくか分からない非常にやっかいな代物であって。
ひとまず麻雀で話をしましょう。対局が始まりました。その時にやっぱり誰かが”ついてる”人がいて、配パイやツモも良かったり、皆より早く上がれる。いわば最初にもらった運。それを天運といいます。
当然、天運に見放されいる人もいるわけで、そのままじゃ天運の波に乗られ大差をつけられてしまいます。そこで必要なのが地運と呼ばれる物。
相手の天運を技術、時には常人には理解できない事で剥ぎ取り、天運を平等に、地運勝負の”流れ”にもっていく。自らの地運をなんとかして上げていく。当然、絶妙なタイミングが必要だし、”流れ”を把握しなければなりません。
じゃあその”流れ”って何?これもまた非常にファジーなものですよね。野球とかバレーとかサッカーとかでもよく使うじゃないですか。流れが変わったとか、このような流れになるとか。どんな流れよ?なんて分からない人には到底理解できません。だって未来なんて見えないもん。
この”流れ”ってヤツは直感や予知能力とも違い、技術的なものであって、それを把握出来るんであれば、日常生活においても非常に有利に働くものだと思います。ただ、それって何??
あるプロ野球の人が言ってました。
”同じポジションで何年もやっていて。練習でも試合でもバッターが打った球を取り、ファーストに投げる。当然、ランナーがいれば違う行動をとるが基本的にはそんなに多くの種類があるわけではない。ただ、それをを何千、何万回とやるんだが、同じ状況でも全く同じボールが飛んでくることはない。
その時、その何千、何万回の経験の中から一番似ている物を瞬時判断し、一番最善な方法を取る。それをも何千回とやっていると、こうなったらこうなるだろうの「だろう」が現実と近くなっていって、それ全体の結果がなんとなく分かるようになる。それを「流れ」と呼ぶのではないかと思う”
と。
なるほど。それだと理屈は通りますね。いわゆる経験則をもっともっと凝縮した物かと思います。いろいろな経験をしたり、同じ経験を何度も何度も繰り返すうちに、たどり着く結果やどの過程の部分が勝負所だっていうのが分かってくる。それを行うことにより全体の「流れ」を自分で変えていく。それが地運ではないかと。
桜井氏はこの地運を非常に重視しています。ってか天運ばかりは、それこそ神から与えられたパラメーターであって、生まれつき運の良い人悪い人。それこそ、金持ちの家に生まれてくるか、貧乏な家に生まれてくるか。これも天運の1つだと思います。
だけど、いろいろな経験。多くの経験。地運を持っていないと、与えられた天運を剥ぎ取られたり、逆にせっかく天運に恵まれているのにそのチャンス、機会を逃してしまったりしてしまう。逆に言えば地運を鍛えておけば、相手の天運を剥ぎ取ることができる。もしくは、来た、チャンスを逃さないことができる。天運という曖昧なものに翻弄されずに済むのは非常に有利なことだと思います。
良い事、悪い事、成功したこと、失敗した多くの事、言った事、言われた事、苦しかった事、楽しかった事、得た物、失った物。。。これらは全て、自分の糧だと思います。今病んでる俺でも、得た物は大きいと思います。
せっかくこれまで得た地運、見える流れ活かすも殺すも最後は結局自分次第だと思います。「流れ」を見てし、チャンスをつかめ。それが失敗だったとしても、それはそれで、糧なんだから。
それでも時計は回ってる
ぶっちゃけて言うと眠いです。詳細は別として、夜が遅くなってしまったからなんですが。徹夜すると次の日に残る。。。くぅやはり年かなんて思いつつも、その疲労より、大変な人は五万といるわけで。
朝、新聞がわりにグーグルニュースを見るんですが、まぁ時事ぐらいは知っておかないと。リビアではカダフィ次男の問題で内戦の危機。中国では大規模なデモで厳戒態勢。それに比べて日本はまだオザワだの解散だの、庶民には全くもって関心のないことで騒いでいて、平和だなぁとつくづく思ったりしたんですが。
先週、俺が死にたい大波がきた時、本人はそんな気がなくても、防波堤になってくれた恩人?とも言える友人も眠いダルイの俺よりキツイ、苦しんでる人たちの中の1人。
詳細は別として、本人がとった行動、言動、会話。本当にこれでよかったのか?迷い。後悔。衝動的なもの。いろいろなことを悩んでいて、寝たかどうかもあやしいと思います。
それが正しいのか正しくないのか?別の行動をとればよかったのか?行ったことは良かったのか、悪かったのか?それらは全て結果でしか出てこなくて、その時とった行動に良いも悪いもないと思います。
ただ、俺も含めて、キツイ時はどうしても心の視野がせまくなってしまい、今のことしか考えられなかったり、どうしてもネガティブな思想になってしまう。なんとか時間薬で楽になってくれればいいのですが。
俺が言えるのは、今まで、同じようなことでさんざ苦しんできた。そして決断し、行動し、今にいたってる。それは他人の命令ではなく、本人が決めたこと。だから俺はそれを尊重し、応援し、手助けがいるのであれば、それに面倒なんて思いはいっさいない訳で。ただ、決めて行動した今まで。それは鉄の強い意志がないと出来なかったものだと思います。だから、今の感情に流されないで欲しい。ひとまず休んで落ち着いて。考えるのはそれからでも遅くないと思います。
あと俺よりキツイ、友人に。自分で離れること。それはとても簡単だと思う。手は差し伸べて、それの手助けをしてくれた人もいる。それを簡単に、切捨てないで欲しい。君のことを思い、話してることを忘れないで欲しい。それには、君の行動も必要だってことを知って欲しい。
朝、新聞がわりにグーグルニュースを見るんですが、まぁ時事ぐらいは知っておかないと。リビアではカダフィ次男の問題で内戦の危機。中国では大規模なデモで厳戒態勢。それに比べて日本はまだオザワだの解散だの、庶民には全くもって関心のないことで騒いでいて、平和だなぁとつくづく思ったりしたんですが。
先週、俺が死にたい大波がきた時、本人はそんな気がなくても、防波堤になってくれた恩人?とも言える友人も眠いダルイの俺よりキツイ、苦しんでる人たちの中の1人。
詳細は別として、本人がとった行動、言動、会話。本当にこれでよかったのか?迷い。後悔。衝動的なもの。いろいろなことを悩んでいて、寝たかどうかもあやしいと思います。
それが正しいのか正しくないのか?別の行動をとればよかったのか?行ったことは良かったのか、悪かったのか?それらは全て結果でしか出てこなくて、その時とった行動に良いも悪いもないと思います。
ただ、俺も含めて、キツイ時はどうしても心の視野がせまくなってしまい、今のことしか考えられなかったり、どうしてもネガティブな思想になってしまう。なんとか時間薬で楽になってくれればいいのですが。
俺が言えるのは、今まで、同じようなことでさんざ苦しんできた。そして決断し、行動し、今にいたってる。それは他人の命令ではなく、本人が決めたこと。だから俺はそれを尊重し、応援し、手助けがいるのであれば、それに面倒なんて思いはいっさいない訳で。ただ、決めて行動した今まで。それは鉄の強い意志がないと出来なかったものだと思います。だから、今の感情に流されないで欲しい。ひとまず休んで落ち着いて。考えるのはそれからでも遅くないと思います。
あと俺よりキツイ、友人に。自分で離れること。それはとても簡単だと思う。手は差し伸べて、それの手助けをしてくれた人もいる。それを簡単に、切捨てないで欲しい。君のことを思い、話してることを忘れないで欲しい。それには、君の行動も必要だってことを知って欲しい。
2011年2月20日日曜日
2011年2月19日土曜日
ちょっ!まだ早くね?
今日はすげー風強かったですね。つかその風の強さにしては体感温度が高いような。まさか春一番!?なんて思ってしまいました。
毎年、毎年、長野にいた時から思うんですが、年々、雪の量が減ってるような気がします。長野にいた時は、志賀高原、もしくは北志賀に行ってたんですが、最初は車より高い雪の壁があったような気がしたんですが、次の年にはその半分、その次にはもう腰ぐらい、その次には、あれ?アスファルト見えてるじゃん。。。なんて。
ホームを群馬にしてから、武尊牧場スキー場をメインに滑っているんですが、やはり毎年雪の量が減っている気がします。この前行った時もほとんどアスファルト出てたし。東京で3cmぐらい積もったから期待してたんですが、向こうはほとんど降ってないんじゃ?なんて思えたりもします。
スキー・スノーボードのトップシーズンといえば1月中旬から2月ぐらい。3月になると暖かくなって行き、3月末にほとんどのスキー場がクローズするって感じなんですが、そのトップシーズンにまとまった雪がドカンと降ったって感じがありません。1度ドカ雪が降って、スキー場発表の降雪量が一気に1m以上増えたのは知ってますが、それ以降、50cmを越すような雪、降ったんでしょうかね。
自分の見る限り、降ってはいるのですが、積もって10cm程度じゃないでしょうか。根拠は?武尊牧場スキー場には、結構広い無圧雪バーンがあるんですが、当然、雪が降ればそこを狙って滑ります。ただ、週末を過ぎてからなので、ある程度荒れているのは十分承知なんですが、そこに雪がガンガン降っていれば、滑った後がなくなっていくんです。だんだん平らに近づいているというか。
粉雪であればなおさらです。いくら滑っても、ちょっと風が吹けば滑った跡を消してくれます。それが明らかに滑った跡がある。その上に雪があるか?というと微々たるものでしかない。ハッキリと跡が残っているのであれば、昼間の気温は当然高いと予測できます。
ただし、雪は降っているようなので、ジャンプ台とか作ってはいるのですが、更に多くの雪を必要とするハーフパイプの規模が大きくならないんです。毎年、3月になるとハーフパイプの大会があってその為に雪を残してる感もいなめません。
群馬と言っても太平洋側。毎年極上のパウダーにありつけるとは思っていません。それは長野の時でも同じであって、吹雪の中でも、粉雪がガンガン降って、腰まであるようなパウダーを滑れるのはシーズンで(もちろん行く回数にもよりますが)何回もありません。
日本海側の豪雪地帯。まぁ5mとか普通に降るんですが、それだって当たり外れがあって、富山とか新潟とか、豪雪地帯でも、海に近くなっていくと、当然標高は低くなり、雪自体がすぐ重くなります。だから本当に軽いパウダーを求めるとなると、北海道に行くか妙高、蔵王とか標高が高く、かつ雪が多く降るとこに行かざるをえないんですが、そんなヒマも金もなく。
毎年、1回はパウダーに当たれるんですが、今シーズンはどうやらなさそうです。ってか日本海側の積雪量、雪の質はどうなんでしょうかね?聞いてみたいです。
つかその前に、毎年、確実に雪の絶対量が減っているような気がします。温暖化とかそおいう問題じゃなくて、環境自体がおかしくなっているような。。。。
2月8日。なんの日か知ってますか?1月20日が大寒。1年で最も寒い時期とされています。で2月8日は立春。暦的にそこから春が近づいていくというのですが、いくらなんでも春くるのはやすぎなくないすか?
ラジオとか聞いてると、もう春の話題ばっかり。冬が主たる活動時期の俺としては60%の寂しさと40%のイラつき。夏、冬が短くなっていき、春、秋が長くなっていく。四季というものが無くなってしまうのも案外近い将来かもしれません。
毎年、毎年、長野にいた時から思うんですが、年々、雪の量が減ってるような気がします。長野にいた時は、志賀高原、もしくは北志賀に行ってたんですが、最初は車より高い雪の壁があったような気がしたんですが、次の年にはその半分、その次にはもう腰ぐらい、その次には、あれ?アスファルト見えてるじゃん。。。なんて。
ホームを群馬にしてから、武尊牧場スキー場をメインに滑っているんですが、やはり毎年雪の量が減っている気がします。この前行った時もほとんどアスファルト出てたし。東京で3cmぐらい積もったから期待してたんですが、向こうはほとんど降ってないんじゃ?なんて思えたりもします。
スキー・スノーボードのトップシーズンといえば1月中旬から2月ぐらい。3月になると暖かくなって行き、3月末にほとんどのスキー場がクローズするって感じなんですが、そのトップシーズンにまとまった雪がドカンと降ったって感じがありません。1度ドカ雪が降って、スキー場発表の降雪量が一気に1m以上増えたのは知ってますが、それ以降、50cmを越すような雪、降ったんでしょうかね。
自分の見る限り、降ってはいるのですが、積もって10cm程度じゃないでしょうか。根拠は?武尊牧場スキー場には、結構広い無圧雪バーンがあるんですが、当然、雪が降ればそこを狙って滑ります。ただ、週末を過ぎてからなので、ある程度荒れているのは十分承知なんですが、そこに雪がガンガン降っていれば、滑った後がなくなっていくんです。だんだん平らに近づいているというか。
粉雪であればなおさらです。いくら滑っても、ちょっと風が吹けば滑った跡を消してくれます。それが明らかに滑った跡がある。その上に雪があるか?というと微々たるものでしかない。ハッキリと跡が残っているのであれば、昼間の気温は当然高いと予測できます。
ただし、雪は降っているようなので、ジャンプ台とか作ってはいるのですが、更に多くの雪を必要とするハーフパイプの規模が大きくならないんです。毎年、3月になるとハーフパイプの大会があってその為に雪を残してる感もいなめません。
群馬と言っても太平洋側。毎年極上のパウダーにありつけるとは思っていません。それは長野の時でも同じであって、吹雪の中でも、粉雪がガンガン降って、腰まであるようなパウダーを滑れるのはシーズンで(もちろん行く回数にもよりますが)何回もありません。
日本海側の豪雪地帯。まぁ5mとか普通に降るんですが、それだって当たり外れがあって、富山とか新潟とか、豪雪地帯でも、海に近くなっていくと、当然標高は低くなり、雪自体がすぐ重くなります。だから本当に軽いパウダーを求めるとなると、北海道に行くか妙高、蔵王とか標高が高く、かつ雪が多く降るとこに行かざるをえないんですが、そんなヒマも金もなく。
毎年、1回はパウダーに当たれるんですが、今シーズンはどうやらなさそうです。ってか日本海側の積雪量、雪の質はどうなんでしょうかね?聞いてみたいです。
つかその前に、毎年、確実に雪の絶対量が減っているような気がします。温暖化とかそおいう問題じゃなくて、環境自体がおかしくなっているような。。。。
2月8日。なんの日か知ってますか?1月20日が大寒。1年で最も寒い時期とされています。で2月8日は立春。暦的にそこから春が近づいていくというのですが、いくらなんでも春くるのはやすぎなくないすか?
ラジオとか聞いてると、もう春の話題ばっかり。冬が主たる活動時期の俺としては60%の寂しさと40%のイラつき。夏、冬が短くなっていき、春、秋が長くなっていく。四季というものが無くなってしまうのも案外近い将来かもしれません。
2011年2月18日金曜日
どんな時でも
汽車を待つ君の横で僕は
時計を気にしてる
季節外れの雪が降ってる
東京で見る雪はこれが 最後ねと
寂しそうに君がつぶやく
なごり雪も降る時を知り
ふざけすぎた、季節の後で
今春が来て、君はきれいになった
去年よりずっときれいになった
動き始めた、汽車の窓に顔をつけて
君はなにか言おうとしている
君の口びるがさようならと動くことが
怖くて下を向いてた
時がゆけば幼い君も
大人になると気づかないまま
今春が来て、君はきれいになった
去年よりずっときれいになった
君が去ったホームにのこり
落ちてはとける雪を見ていた
今春が来て、君はきれいになった
去年よりずっときれいになった
去年よりずっときれいになった
「なごり雪」
「死」というもの
どんなに偉くても、どんなに貧乏でも
どんなに楽しくても どんなに苦しくても
時間だけは皆、平等に過ぎていき 人はいずれ死ぬ
俺の親が死んだ時 俺は涙を流すことができるのだろうか
俺が死んだ時 涙を流してくれる人はいるのだろうか
いや、涙の量が悲しみの度合いにはならないな
親、友人、俺
死ぬ人自身は悲しくともなく ただ自我がなくなるだけ
悲しいのはその人を思う人であって 死んだ人ではない
なんで悲しいの?いずれ自分にもやってくるのに?
でも悲しい 悲しい 悲しい 理由なんかない
親が死んだ時 悲しい思いになるんであれば
それだけ親を思っていたってことで
どんなお経より供養になると思う 楽しい思い出はより輝くと思う
友人が死んだ時 悲しい思いになるんであれば
それだけ友人を思っていたってことで
どんなお経より供養になると思う 楽しい思い出はより輝くと思う
俺が死んだ時
悲しいと思ってくれる人が1人でも いたらいいな
どんなに楽しくても どんなに苦しくても
時間だけは皆、平等に過ぎていき 人はいずれ死ぬ
俺の親が死んだ時 俺は涙を流すことができるのだろうか
俺が死んだ時 涙を流してくれる人はいるのだろうか
いや、涙の量が悲しみの度合いにはならないな
親、友人、俺
死ぬ人自身は悲しくともなく ただ自我がなくなるだけ
悲しいのはその人を思う人であって 死んだ人ではない
なんで悲しいの?いずれ自分にもやってくるのに?
でも悲しい 悲しい 悲しい 理由なんかない
親が死んだ時 悲しい思いになるんであれば
それだけ親を思っていたってことで
どんなお経より供養になると思う 楽しい思い出はより輝くと思う
友人が死んだ時 悲しい思いになるんであれば
それだけ友人を思っていたってことで
どんなお経より供養になると思う 楽しい思い出はより輝くと思う
俺が死んだ時
悲しいと思ってくれる人が1人でも いたらいいな
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