こーいうことは余り言ってはいけないんですけどね。でも、ココロから言いたくなってしまいます。
頑張れ
がんばれ
ガンバレ!
1歩進む友人へ
2010年9月22日水曜日
画像は特に関係ありません
明日は給料日です。少なくとも定期的な収入があるっていうことはありがたい事です。とりあえず、払うべきものは払いに行こうと思います。
で、銭に余裕があるからと、美味いもんくいてぇ~~って思うわけでもなく、10月から値上がりするタバコをどうしようかとそっちの方が問題は甚大です。
一気に140円の値上げ。いったい何故なんでしょうね。赤字財政なのは知ってます。それでいて必要ない工事はしっかりとして。。。高速道路を値下げしたからでしょうか。年金の問題でしょうか。
まぁひっくるめて国が銭がねぇ!って言ってるんだからしょうがありません。そこで300円で売れとも言えませんしね。
でも何故タバコなのか。ひとつずつ?だったら他の物も値上がりするのでしょうか。趣向品でいえば酒とか。いろいろ名を打って、車の税金も上がるとか上がらないとか。これで車に乗る人が減り、環境面でも優しくなればいいのですが、車無しでは生活できない人も多くいることをお忘れなく。
どうも、考えが霞ヶ関的考え方?な感じもしますけどね。酒好きだから、酒税上げるのは後。みたいな。ほんと、議員さん、近いんだから自転車使いなよ。公共の乗り物使いなよ。
お役所もだんだん変わってきているとはいえ、まだまだ一般の企業に比べればサービスという点では20年ほど遅れてますね。市の情報を提供し、活用して「いただく」のが市町村役場の仕事なのですから。
その上での条例であったり、申請であったり、許可が必要であったりするわけですから。狭い世界にいると、その辺の視野がどうしても狭くなりがちです。それは、他の企業でもそうですし、それこそ霞ヶ関で働いてる人にも言えることなんですけどね。医者とか弁護士とかもそう。
あるべき制度を申請、受理した時点で、いわば契約なわけです。その契約にむかい手続き上の時間がかかるのは仕方が無いことです。やむを得ず、遅延してしまうこともあるでしょう。
そんな時、謝罪するのははたしてどちらか。車に例えるなら、納車日が遅れた時、契約者に対して、ほったらかしにしときますか?
前に、そんなことを厚生労働省にくってかかったことがありましたが、その人は言い切りました。順次謝罪と説明をしています。
そんなん来た人誰もいないのですが。嘘つき役員の給料が俺らの税金ともなると。。。そりゃタバコの値上げにも不平が出るってもんですよ。
2010年9月21日火曜日
結局
缶コーヒーってやっぱ結構腹持ちがいいことが判明。糖質ゼロだからこりゃ缶コーヒーダイエットかこりゃ?
やっぱダメです。栄養不足ってゆーか偏りすぎです。真似はしない方がいいと思います。糖質はゼロでも脂質はゼロじゃないんで。
明日は、ちゃんと食べようと。。。気が向いたら食べようと思います。カレーでも食うかー
どうでもよくなってしまうと、いろいろどうでもよくなってしまいます。
食べることも、お風呂に入ることも、音楽を聴くことも、生きることも。
でも最後のチカラを振り絞って、お風呂とか入ると、良い感じになってくれます。
食べようとか思ったり、音楽聴こうと思ったり、それが生きることにも。
テキストもこの1つ。最近、毒がないですが、毒のあるようなこともないので。あしからず。
求む毒!とは言いませんが、トキメキは欲しいものです。
2010年9月20日月曜日
どうでもいいこと
俺にとってどうでもいいことを削っていこうとすると、考える度にみんなどうでもいい気がする。どうでもいいことを言って、どうでもいいことをして、なんかみんなどうでもいいことなんじゃないか。
極論を言ってしまえば、食うことさえ出来れば、あとはみんなどうでもいい。それで、生きていける。じゃあ食うことすらどうでもよくなってしまったら。。。。
食べることに意義は感じても、食べ物についてはどうでもいい状態。よろしくない。
つかそんなことを考えるのもどうでもいいが、膨大な時間が俺にいろいろ考える時間を与えてくれる。
でも、どうでもいいような事しか思い浮かばず、結局はどうでもいい結論で終わることも多々あって。
でもこうも思う。どうでもいいっていうのも人が決めることであって俺が決めることでもなく、場合によっては光り輝くものであったり、意味のある事だったりするのかもしれない。
どうでもいいことでも、考えないよりはいい。考えることで人は進化していくのだから。生きてる意味があるのだから。
極論を言ってしまえば、食うことさえ出来れば、あとはみんなどうでもいい。それで、生きていける。じゃあ食うことすらどうでもよくなってしまったら。。。。
食べることに意義は感じても、食べ物についてはどうでもいい状態。よろしくない。
つかそんなことを考えるのもどうでもいいが、膨大な時間が俺にいろいろ考える時間を与えてくれる。
でも、どうでもいいような事しか思い浮かばず、結局はどうでもいい結論で終わることも多々あって。
でもこうも思う。どうでもいいっていうのも人が決めることであって俺が決めることでもなく、場合によっては光り輝くものであったり、意味のある事だったりするのかもしれない。
どうでもいいことでも、考えないよりはいい。考えることで人は進化していくのだから。生きてる意味があるのだから。
2010年9月19日日曜日
実力の底と継続のチカラ
趣味で、楽器のベースをひいたり、スノーボードに行ったりするんですが、世の中、やっぱ俺より上手い人は山ほどいて、それでも練習するんですが、やはりそこに限界を感じることってあると思います。
どんなに好きで、どんなに努力しても報われないこともあるんです。才能と、それを奢らず努力してその中の一握りの人が成功を収める図式はどんな世界でも変わりません。
っていうのは「プロ」本格的にやろうっていう人の話で、それを仕事とする場合に関わることで。
どんなにスノーボードが好きでもそれに関わる仕事をしようとか思ったことは1度もありません。スノーボードでもスロットでも、それで食っていこうとすると、それなりの努力と才能、そして時に辞めたいほどイヤになる気持ちをぐっとこらえないといけないからで。
イヤな気持ちでやるんだったら、プロなんてなりたくないなってのが俺の思うところ。なので趣味の範疇で楽しんでいます。趣味は楽しくてなんぼだと思ってますので。
その楽しいにもいろいろあって、時にハードなこともあるわけで。でもそれを頑張って達成できた時の嬉しさはひとしおで、ああ継続はチカラ也なんてよく言ったもんだなんて思います。
マラソンが好きな人っているじゃないですか。俺は走るの、キライですが。大きな大会とかホノルルマラソン?とか出たりして。
でも、優勝できる人はやっぱ本格的にやってる人で、一握りの人意外は、その他大勢の参加者になるんですね。それにむなしさを感じてしまうことってないのかな?とも思ったり。
参加することに意義があるって言葉もありますが、言い方を変えれば骨折り損とも言えるわけなんですが果たしてそうなのか。答えはハッキリとノーですね。参加して楽しんで走ってる。それが一番の優先事項だと思います。
途中、足が痛くなりました。棄権する?苦しい。リタイアする?楽になるぜ。。。耳元での囁きを手で払いのけ歩いてでもゴールする。それがたとえビリだとしてもその人の満足は優勝した人より勝っているかもしれません。
プロの世界にはゴールがあっても趣味の世界にはゴールがあってないような物。ずっと続けるんだったら楽しくやりたい。そう続けていけば、やがてチカラとなると思います。
軽いようで実は意味深っぽいけど、別にそのままの話。
どんなに好きで、どんなに努力しても報われないこともあるんです。才能と、それを奢らず努力してその中の一握りの人が成功を収める図式はどんな世界でも変わりません。
っていうのは「プロ」本格的にやろうっていう人の話で、それを仕事とする場合に関わることで。
どんなにスノーボードが好きでもそれに関わる仕事をしようとか思ったことは1度もありません。スノーボードでもスロットでも、それで食っていこうとすると、それなりの努力と才能、そして時に辞めたいほどイヤになる気持ちをぐっとこらえないといけないからで。
イヤな気持ちでやるんだったら、プロなんてなりたくないなってのが俺の思うところ。なので趣味の範疇で楽しんでいます。趣味は楽しくてなんぼだと思ってますので。
その楽しいにもいろいろあって、時にハードなこともあるわけで。でもそれを頑張って達成できた時の嬉しさはひとしおで、ああ継続はチカラ也なんてよく言ったもんだなんて思います。
マラソンが好きな人っているじゃないですか。俺は走るの、キライですが。大きな大会とかホノルルマラソン?とか出たりして。
でも、優勝できる人はやっぱ本格的にやってる人で、一握りの人意外は、その他大勢の参加者になるんですね。それにむなしさを感じてしまうことってないのかな?とも思ったり。
参加することに意義があるって言葉もありますが、言い方を変えれば骨折り損とも言えるわけなんですが果たしてそうなのか。答えはハッキリとノーですね。参加して楽しんで走ってる。それが一番の優先事項だと思います。
途中、足が痛くなりました。棄権する?苦しい。リタイアする?楽になるぜ。。。耳元での囁きを手で払いのけ歩いてでもゴールする。それがたとえビリだとしてもその人の満足は優勝した人より勝っているかもしれません。
プロの世界にはゴールがあっても趣味の世界にはゴールがあってないような物。ずっと続けるんだったら楽しくやりたい。そう続けていけば、やがてチカラとなると思います。
軽いようで実は意味深っぽいけど、別にそのままの話。
2010年9月17日金曜日
はは。。。。
変な時間に変なもん食って、甘い物がなんかすげぇほしくなって食べてみたり、その後全然食べなかったり、夜遅くまで起きてた割には、朝早くおきて、また寝たり。不規則極まりない生活。
スロで散財してみたり、ねむくもないのに横になってみたり、洗濯しなかったり掃除しなかったり、やっとこさゴミだしたり。
自分で自分壊してんじゃん。クスリ飲んでも、そりゃダメだ。
でどうするかも分からないまま、雨がすげぇって理由で、病院を延期してもらった俺。
で、今なにしてるかというと、ヒマなのでコレ書いてます。
夢を見ました。顔を蹴ってしまい、いなくなったと思っていた猫が戻ってきてました。あぁ戻ったんだぁと薄目を開けたらやはり自分の部屋。猫もいるはずもなく。
ただ、こんどは蹴られまいと、顔の近くで座ってた夢。毛で、ゴニョゴニョってなって、起きた。
アメリカにはゴーストラボとかいう心霊調査チームがいるという番組をしてました。いろいろな計器を使って、自然ではありえない現象を捉えていて、心霊現象は「ある」と結論づけていましたが、それは根本的になんの解決にもなってないと思います。そりゃエクソシストの仕事ってか?
是非是非、心霊超大国JAPANでやってもらいたいものです。呪われ上等で。
スロで散財してみたり、ねむくもないのに横になってみたり、洗濯しなかったり掃除しなかったり、やっとこさゴミだしたり。
自分で自分壊してんじゃん。クスリ飲んでも、そりゃダメだ。
でどうするかも分からないまま、雨がすげぇって理由で、病院を延期してもらった俺。
で、今なにしてるかというと、ヒマなのでコレ書いてます。
夢を見ました。顔を蹴ってしまい、いなくなったと思っていた猫が戻ってきてました。あぁ戻ったんだぁと薄目を開けたらやはり自分の部屋。猫もいるはずもなく。
ただ、こんどは蹴られまいと、顔の近くで座ってた夢。毛で、ゴニョゴニョってなって、起きた。
アメリカにはゴーストラボとかいう心霊調査チームがいるという番組をしてました。いろいろな計器を使って、自然ではありえない現象を捉えていて、心霊現象は「ある」と結論づけていましたが、それは根本的になんの解決にもなってないと思います。そりゃエクソシストの仕事ってか?
是非是非、心霊超大国JAPANでやってもらいたいものです。呪われ上等で。
2010年9月16日木曜日
危機感[大型太陽風]
2011~2012年にかけて、太陽が活発になり、大型の太陽フレアがおこる可能性が非常に高いというのは、”ムー”からディスカバリーチャンネルまで報道しています。
どんなになるかってゆーと、人体がプラズマのように光るとかいうウサンクサイ物から、専門家が堂々と言う現実的なものまであるんですが一番危険なのは電気機器に対してです。
太陽風により、すげぇ強力な電磁波が地球にふりかかります。世界中でオーロラが見えるらしいのたですが、それは電磁波が大気中の窒素とかと衝突し、光子を放つからで、それだけ電磁波が来ていることを示すものです。
電磁というだけあって、それは電気と磁力を帯びた波です。それが電子機器に浴びせられると、超異常な電流が回線を流れ、ぶち壊れます。コンセントを抜いてもダメなんですね。空から直接電気が降ってくるのだから。
送電線には電磁波により大量の電流が流れます。その電流により変圧設備は全滅。そうなったら、変圧設備を作り直すしかありません。直るのに数年はかかり、その間電気の無い生活をしいられます。
これが過去になかったか?というと実際あったわけで、数年前、アメリカで太陽風により2週間ほどですか。停電となり、ロウソクを使うため火事が増えたりした経緯もあるわけで。
太陽放射線のおかげで通信機器も壊滅状態です。無線、GPS等による電波は遮断され、誤作動をおこしたり、通信できなくなってしまいます。
電気に依存してる世界にとっては、経済的にも大打撃を受けることは必須。で、それが近々やってくるってんだから、そろそろ危機感を持った方がいいんじゃね?って思います。
対策としては、太陽風が来る前に、発電設備を止めちゃうこと。送電線を分断し、変電設備を守ること。それがベターな方策なんですが、なにせ自然の物、何時、どんな規模で来るかわからないってところにリスクはあります。大金を使って、別に大した物じゃありませんでした。って可能性もあるわけで。
ほれ見たことか。って形にもなつてしまうんですが、それも全て事後の話。数年の停電が数週間だったら儲けもんと思わなくてはいけない状況になりつつあるようです。少し調べれば、今、太陽が大極期にきていて、黒点が大きくなっていることはすぐに分かります。
まぁそうは言っても停電になるってことは江戸時代ぐらいに戻るってことで、そう思って準備しておけば、皆で協力すれば、絶滅する危機ってわけでもないと思いますけどね。でも準備は怠ってはならない。物も、心も。
どんなになるかってゆーと、人体がプラズマのように光るとかいうウサンクサイ物から、専門家が堂々と言う現実的なものまであるんですが一番危険なのは電気機器に対してです。
太陽風により、すげぇ強力な電磁波が地球にふりかかります。世界中でオーロラが見えるらしいのたですが、それは電磁波が大気中の窒素とかと衝突し、光子を放つからで、それだけ電磁波が来ていることを示すものです。
電磁というだけあって、それは電気と磁力を帯びた波です。それが電子機器に浴びせられると、超異常な電流が回線を流れ、ぶち壊れます。コンセントを抜いてもダメなんですね。空から直接電気が降ってくるのだから。
送電線には電磁波により大量の電流が流れます。その電流により変圧設備は全滅。そうなったら、変圧設備を作り直すしかありません。直るのに数年はかかり、その間電気の無い生活をしいられます。
これが過去になかったか?というと実際あったわけで、数年前、アメリカで太陽風により2週間ほどですか。停電となり、ロウソクを使うため火事が増えたりした経緯もあるわけで。
太陽放射線のおかげで通信機器も壊滅状態です。無線、GPS等による電波は遮断され、誤作動をおこしたり、通信できなくなってしまいます。
電気に依存してる世界にとっては、経済的にも大打撃を受けることは必須。で、それが近々やってくるってんだから、そろそろ危機感を持った方がいいんじゃね?って思います。
対策としては、太陽風が来る前に、発電設備を止めちゃうこと。送電線を分断し、変電設備を守ること。それがベターな方策なんですが、なにせ自然の物、何時、どんな規模で来るかわからないってところにリスクはあります。大金を使って、別に大した物じゃありませんでした。って可能性もあるわけで。
ほれ見たことか。って形にもなつてしまうんですが、それも全て事後の話。数年の停電が数週間だったら儲けもんと思わなくてはいけない状況になりつつあるようです。少し調べれば、今、太陽が大極期にきていて、黒点が大きくなっていることはすぐに分かります。
まぁそうは言っても停電になるってことは江戸時代ぐらいに戻るってことで、そう思って準備しておけば、皆で協力すれば、絶滅する危機ってわけでもないと思いますけどね。でも準備は怠ってはならない。物も、心も。
慢性的孤独愛好癖
トモダチ、仲間、大切です。いろいろ話したり遊んだり。それだけ自分の笑顔が増えるから。でも、時々それを完全に放棄したくなる自分がいるんです。
友人からのメール。ちょっと返せばいいのにぶっちぎってしまったり、誘いとかをわざわざ断ったり。ヒマなのに。パソコンの前で独り、こんなことを書いてるのが落ち着いたりします。結構それがあって。
人と話したり、遊んだりするの、楽しいんですが、やっぱ疲れるじゃないですか。決してイヤってわけじゃないんです。頭痛になったりしても楽しい時は楽しいんですが、何故か不意に、輪から抜けたくなる自分もいて。後になってそのジレンマに悶えたりもするんですが。
何もしないってゆーのがあまり出来なくて、スロに行ったり、ゲームをしたりするんですが、その場、周りに人がいたとしても、1人なわけなんです。黙々となんかしてる方が楽だったりすることもしばしば。
なのに寂しいって気持ちもすげぇあって、話がしたい。遊びたい。旅行にも行きたいな。金があったら海外にも行ってみたい。自分の知らない文化に触れてみたいそんな自分もいるわけで。
そうなるとやっぱ自分が今思ってるポジション。誰にも固定されず、ワインボトルのようにプカプカ浮いて、潮の流れでも津波でも、どっかに流されて、誰かが手にとってくれたりするのが良いのかななんて思います。
そんな自分だからドライな時は、文字通り、スーパードライなわけで、喜怒哀楽希薄。だから凹むこともたぎることもなく、いたって冷静な生活を送っています。
でも思う。それが良いとは俺は思ってない。
友人からのメール。ちょっと返せばいいのにぶっちぎってしまったり、誘いとかをわざわざ断ったり。ヒマなのに。パソコンの前で独り、こんなことを書いてるのが落ち着いたりします。結構それがあって。
人と話したり、遊んだりするの、楽しいんですが、やっぱ疲れるじゃないですか。決してイヤってわけじゃないんです。頭痛になったりしても楽しい時は楽しいんですが、何故か不意に、輪から抜けたくなる自分もいて。後になってそのジレンマに悶えたりもするんですが。
何もしないってゆーのがあまり出来なくて、スロに行ったり、ゲームをしたりするんですが、その場、周りに人がいたとしても、1人なわけなんです。黙々となんかしてる方が楽だったりすることもしばしば。
なのに寂しいって気持ちもすげぇあって、話がしたい。遊びたい。旅行にも行きたいな。金があったら海外にも行ってみたい。自分の知らない文化に触れてみたいそんな自分もいるわけで。
そうなるとやっぱ自分が今思ってるポジション。誰にも固定されず、ワインボトルのようにプカプカ浮いて、潮の流れでも津波でも、どっかに流されて、誰かが手にとってくれたりするのが良いのかななんて思います。
そんな自分だからドライな時は、文字通り、スーパードライなわけで、喜怒哀楽希薄。だから凹むこともたぎることもなく、いたって冷静な生活を送っています。
でも思う。それが良いとは俺は思ってない。
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