2011年4月23日土曜日

エゴイズムと自己中心性

すいません。だいぶ間違えました

元気があれば何でもできる。

元気が出せない人はいったいナニをすれば。。。




 エゴイズム
 エゴイズム=利己主義=自分の利益だけを考え,他人を顧みないこと. (類)エゴイズム (対)利他主義

 自己中心性
 発達心理学者のピアジェはこのような子どもの特徴を「自己中心性」と呼びました。
 子供みたいな人です。

 ようは同じような意味なんですが、3歳児がオモチャを取り合ったり、独占しようといることが自己中心性。大人になってもそのような感情をエゴイズムと分けていいかもしれませんね。

 エゴ。これは誰もが大なり小なり持っているものだと思います。自分の為なら人がどーなろーと別に関係ないし。良く言って自己満足の中にもエゴはあるかもしれません。自分が満足するのであれば、相手がどう思おうと関係ない。というような。

 俺に例えて言うのであれば、発作的、衝動的でも、なにかしらの理由があるにしても、不謹慎ではありますが、死というものを非常に軽くとらえており、別に俺が死んだところで、他の人は悲しんだりしたって、俺にはまったくもって関係ないし。これもエゴに入ると思います。

 そんな俺が自己犠牲を謳ったところで、その中心にあるのはエゴなんですね。例えば100人の中から1人を殺す。その1人を殺せば残りは助けようなんて場面。ないと思いますが、多分、手上げちゃうでしょうね。そこに俺の屍を超えて逝け!なんて思想はなく、ある意味チャンス?なんて思ったり。残りの99人がどう思おうと、俺には知ったこっちゃないわけで。


 相手の幸せを願う。と言いながら、相手の幸せが分からず、自分の解釈で「この行為は相手にとって幸せになるで”あろう”」ととった行動。結果としてハッピーでもアンハッピーでも、その行動自体が自分の「エゴ」であり、それに対し、自分がどれだけ犠牲を支払おうと、自己犠牲にはならないと思います。

 それすらも自覚出来ないのであれば、それはもう「エゴ」ではなく「自己中心性」として捉えられることになるでしょう。物の良し悪しも分からないケツの青いガキに何を言っても無駄。これは年齢とか関係ありません。精神年齢は関係ありますが。

 自分がハッピーになりたいから相手をハッピーにしたい。それには相手が何を求めているのか、何がハッピーに繋がるのか、よく知らなければなりません。知る為の努力をしなければなりません。

 それにはまず、相手をよく知ること。それが分からなければ相手のハッピーなんて分かりません。

 それにはまず、相手がどんな思いをしているか知ること。相手がどんな思いなのか、何を願うのか分からなければ相手のハッピーなんて分かりません。

 それにはまず、相手とよく話すこと、そして理解すること。それが出来なければ相手の願いも理解できません。

 それにはまず、相手が今、どんな状況下にあるか知ること。話せる状態なのか?自分はどうなのか?それが分からないと、会話が成り立ちません。

 それにはまず、相手がどんな理由でその状況になったか知ること。堕ちるにしても、願いにしても、なにかしらの理由がある訳で。

 それにはまず、


 それにはまず、


 それにはまず。。。。そろそろ頭、沸騰しちゃいますかね。




 でも、寂しさだったり、欲求だったり、願望だったり、衝動だったり。。。そんなのもエゴと紙一重だったり。でもいいじゃん。だって、人間なんだもん。

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