2008年2月1日金曜日

老いと死

 今日、テレビを見ていたら、かの有名な、瀬戸内ジャクチョウさんが、テレビで話していました。そこで、瀬戸内さんは、老いと死について、こんなことを言ってました。

 自分の夢は遊行したいと。いろんなところへ行って、話しをしたり。それでススキの中を歩いていた時に、ポックリと。もしくは書きものをしている最中にポックリと。死にたい。

 いずれも、今自分の中で楽しいの思っている時に死ぬ事が、良い死に方だと、ジャクチョウさんは話ていました。

 前にバラ色の人生というテキストを書いたんですが、こういう事が良いたかったんです。自分が楽しいと思っている時に死ぬこと。別にジャクチョウさんのそうでありたい死に方に関してそれがベストだとは思いませんが、でも、それがバラ色の人生だったと死ぬことだと思います。

 どこぞのアニメで、この世こそ生き地獄なんて言って藁人形の紐を引っ張る人達。人を呪わば穴2つ。地獄行きが決まっても、それでも。。。って行動が良いのではなく、それでも良いから紐を引っ張る、そして、いずれは誰もが死ぬ。

 その時に地獄行き確定な状態で死ぬことが、それで悔い無しなら良いんでしょうが、それにおびえて死ぬことは、バラ色かっていうと、彼岸花になってしまいます。

 病死、老衰、10代以下で死ぬこともあれば大往生することもある。それらは、自分には分かりません。それこそ、運命、神様が決める、最初から決まっていた。なんでも良いんですが。

 死ぬことの2番目、交通事故や、強盗、恨みから、人に死をゆだねられること。それは運命とは、ちょっと違って、まぁ偶発性なのもあるのですが、そこには、他の動物には無い、サガというもので、死ぬことになります。良いサガもあれば、悪いサガもあり、交通事故も偶発的に見えるものの人対人と言えるものであり、それにはやはり自然とは違う死であると思います。

 最後に、最も自然的ではなく、自分の思い、逃避、衝動的におこなわれる、自らの死。己の気持ち、薄い部分の所だと思います。たとえば、今ってか昔から問題になっている、イジメ、虐待、親からの無神経な期待、ストレスから来る躁、鬱。自分の命なので、他人がどうこう言うところではないのですが、少なくとも、家族、友人の数人等は非常に悲しく思い、それがある人の後悔の念でおしやられ、自分の理想とする、バラ色な人生にはならない。と思います。

 自殺はやめよう。なんて偽善的なことではなく、自分が考える自殺は心、思い、考えの中でとても薄いところに位置しているなって思います。少なくとも、ちょっと深く考えれば、違う道もあったでしょうから。

 老い、眠るように、死ぬこと。俺は今、33歳、親父は70歳。平均年齢からすれば、もうちょっと時間はあるでしょうが、少なくとも、親、そして妻よりは先に死なないようにしたいです。それが俺のバラ色の人生かと。

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